『五輪書』 宮本武蔵が現代に生きていたら・・・Part5 空の巻

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空の巻(この巻は柴任三左衛門尉美矩の直筆)



二刀一流の兵法の道、空の巻として書き表すこと。

空という意味は、物事が何も無いこと、知覚できないことを「空」と見立てるのである。 もちろん 勿論、空は無いことである。有るということを知って無いことを知るということ、これがすなわち空である。世間では間違って見るために、物事を理解できないことを空と見るが、これは真の空ではない。すべて見当違いである。

この兵法の道においても、武士として道(文武両道)を修行するのに、武士の法(兵法)を知らないというのは「空」ではないし、いろいろと迷いがあって、なすすべが無いことを「空」といっているけれども、これも実の空ではない。 正保二年(一六日 とく 武士は兵法の道を確かに会得し、そのほか武芸(弓馬、その他の武芸)に よく励み、武士の修行すべき道(文武両道)に精通し、心迷うことなく、常に怠ることなく、心意(智恵・意志) 二つの心を磨き、観・見二つの目(大局をみる目・細心に注意する目)を研ぎ、少しも曇りなく、迷いの雲の晴れわたったところこそ、実の「空」と知るべきである。 実の道を知らない間は、仏法にせよ、世間の法にせよ、自分だけは確かな道と思い、よいことと思っていても、心の真実の道において、世の大きな(客観的な)尺度に合わせてみると、それぞれの心の贔屓や目の歪みによって、実の道に驚いているものである。そのことを悟って、まっすぐなところを基準として、実の心を道として、兵法を広く修行し、正しく明らかに、大きなところを悟って、空を道とし、道を空と見るのである。


地水火風空の五巻を伝授せしめる。

新免玄信公が私に相伝されたことを写して、これを進呈する。なかでも空の巻は玄信公永永の病気のために、お考えのことは書き表されなかった。

しかし、四書の道理をはっきりと会得し、道理を離れると自然と空の道に適うものである。私が数年工夫してきたことも、道理を会得して道理を離れ、ひとりでに無為の境地に至ることが出来た。もっぱら兵法は、自然の道理に従い、静かになること、動じないようにと自然に修行を積み、広々として空となるのである。

「実相円満の兵法は逝去して絶えず」


これは玄信公が碑銘に顕しておかれたものである。
よくよく兵法を鍛錬れたし。

以上。

兵法において「ろく」(陸=ゆがみなく正しいこと、まっすぐなこと)というのは中立の位であり、静かなること巌のごとくなって敵に向かうことが、
まっすぐな正しい道である。敵に付いて引きずられることがないように。 敵をこのように考えて、剣の道を実践することである

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