「第4章:負けん気を育てる」
いくら知識を増やしてもしょうがない。
すばらしい本を読んでも、すばらしい話を聞いても、旅に出てすばらしい景 色を見ても、それは知識が増えたというだけで、人生の根本的な役には立っていない。
枝葉が知識なら、本質は「どう生きたいのか」という志である。
この志を言葉にし、いつも懐に携えていれば、
どこへ行って、誰と会い、な にを見て、なにを聞いても、あらゆるものが道を明るく照らす光となる。
どうすれば人は志を立てられるのだろうか。
その源は負けん気にある。
すばらしいものと出会ったとき、「自分も同じ人間だ。負けてなるものか」 と発憤することができるかどうか。
ただそれだけである。
負けん気の正体を見つけることができたら、もういても立ってもいられなく のだ。志のために行動をする。そして志のために行動したからこそ、はじめてその学問を理解できたと言える。
吉田松陰にはいつも「めざす人物」がいた。
「こういう人になるために、学ぼう」という目標があった。
学問の神として敬われている吉田松陰だが、
それは本当に自分が日本を変える人物になれるかどうかの、孤独な真剣勝負だったのだ。
119読書の心得
早く効果を上げたい気持ちはわかります。
頭の中を空っぽにして、本の世界に飛び込む感じです。
頭の中から「たぶんこういうことだろう」 頭じゃない。 という推測を捨て去った方がいいと思います。
魂のこもった著者の心を、 ですが、本を読むときは、 からだ全体で受け止めるんです。
120二種類の生き方
人の性格を大きく分けると二種類あって、 「自分がやりたくないことはしない」という保守的な性格か、 「自分がやりたいことだけをやっていればいい」という自由な性格か、たいていどちらかに偏ります。
両者は本来、別のタイプの人間なんですが、 中には、のんびりと心静かに、思うままに過ごし、 あらゆる損得に眉一つ動かさない頑固者でありながら、いざというとき、思い切って冒険できる人がいます。
どうすればそんな人になれるんでしょうか。学問ですよ。それが私が学問を極めたいと思う唯一にして最大の理由です。
125行き詰まったときはいずれかを
歴史に関心がなく、 心の友もいないとなると、 すぐにつまらない人間になってしまいます。 本を読む。仲間と会う。
これが、古い自分から脱皮するための道です。
129惜しみなく教え、頭を下げる
「あいつはよく勉強している」と言われるような人は、よく本を読んだり、調べ物をしたりしている、ということではなく、その道をきわめようとしています。
それもただその道をきわめようとするだけではなく、 後からやって来る者に対しては、自分が知っていることを、 惜しみなく教えようとします。
さらに「その道においては先輩」だと認識していれば、 相手の年齢や、役職がどれだけ下だとしてもこだわらず、 頭を下げて教えを乞います。
技術はずいぶん進んで、 情報収集をする人は世の中にあふれ返っています。 しかしそんな風に道をきわめようとする人は、 ほとんどいないんです。
130勝つ人と勝ち続ける人
勉強なんかできなくたって、最善を尽くせばそれでいい。
ですが勉強している人が、最善を尽くしたら、 それには絶対かないません。 いつまでも一線で活躍するつもりなら、 勘や経験だけに頼らずに、本質を学び続けることを怠ってはいけません。
134本質を知る
本質とは語らずともただそれに触れただけで、わかってしまうもの。身近なものとして感じることができるもの。 そのくせシンプルで、わかりやすく、 あまりの美しさに、拝みたいような気持ちにさせられるもの。
140学者と武士
わたしは学者でありたい。わたしが理想とする「学」とは自分の生き方を追求し、 本を山ほど読んだり、 自分の考えを広めたりすることではなく、 自分の生き方を追求し、世の中の役に立つものを届けることです。
わたしは武士でありたい。
わたしが理想とする「武」とは、 喧嘩の腕を磨いたり、 権力を手に入れたりすることではなく、 なにに対して命を注ぐかを明確にし、 その迷いを断ち切ることです。
141再開すれば、それも継続
一か月でできなかったら、二か月で完成させようと決めればいい。
二か月でできなかったら、百日で完成させようと決めればいい。
問題は見通しがはずれたことよりも、途中で投げ出してしまうことです。
142勝因はどこにあったか
才能、知識、人脈
それはいくらあっても最後の最後は役には立ちません。
地道なことを、どれだけ丁寧に積み重ねられるか。
ただそれだけが大きなことを成し遂げる基盤になるんです。