人生100年時代の先達とは ~何によって憶えられたいか~

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人間は、「自分は何者であるか」を問い続ける存在だと思います。意識的にも無意識的にも、自らの営みの中で、自分らしさを発揮したり、自己の能力を駆使して何かに貢献したり、集団の中での自己を見つめていたり、時には自分らしさを見失って困惑することもあるでしょう。

人生100年時代において、従来の3ステージ(教育→仕事→引退)からマルチステージ(生涯で状況に応じて仕事、社会貢献、子育て、介護、学び直し、趣味人生、等を繰り返す生き方)へ生き方が変わってきていると説いたのは、経営学者のリンダ・グラットンですが、私の周囲においても、複数のステージ間を常に移行し続け、その時々の環境変化に適応しようとしている方がずいぶん多く見られるようになりました。

中でも最近私が注目している、私より数十年年長で、見習いたいと思う点でも、これはどうかなと思う点でも、様々な意味で「先達」として私の先を歩いている方々がいらっしゃいます。ロールモデルというものの見方がそれほど有効でなくなっているVUCAの時代ですが、先達の方々からは多くを学ばせてもらっています。守秘義務がありますので、私の目に留まったケースを3つほど抽象化してご紹介しようと思います。

まず1つは、長年自分の信念を持ってやり続けていることを、年老いた今も頑なに保持し続けようとしている人です。後進の育成を図っているのですが、自分の信念の強さのあまりに後進がおかれている社会に適応した物事の伝え方ができません。分かりやすく言うと、他者にきちんと理解されるよりも自分のやり方を通したい欲を満たす方を優先するあまり、過去の学習を捨てる(アンラーン)ことが出来ずにいて雁字搦めになっています。

次は、リスクをとって脱サラし職人の道を長年歩んできましたが、年老いた頃合いで後進にすべてを委ねて引退した人です。現在は自分が築いた家族親族への支援、自分が愛する地域への貢献に熱心に取り組んでいます。取り組み方は、相手との対話に重きをおき、ひとつひとつ丁寧に確認をとりながら、合意をつくって物事を進めていっています。時には自分の考えと異なる意見に当たることもありますが、相手の事情を受け止めて最善の方策を求めています。

最後は、常に自分の生きている時代の十数年先を見て物事を成し遂げてきた人です。この方はリスクをとって定年前に早期退職し、そこから自分のやりたいと思うことにコツコツとエネルギーを注いできました。本当に色々なことをやってきましたが、最近老いを強く意識するようになり、人生のステージを死を見つめたところに切り替え、やることを絞り始めました。つまり人生の整理整頓、不要ものは執着なく手放す、といったところでしょうか。自己の内面のさらなる発達に焦点を合わせていらっしゃいます。

ここに挙げた3つのケースは特段何かを論じるために整理されたものではありません。私が勝手に先達として見させていただいているということなのですが、私自身の人生のこれまでを振り返り、現在の位置を見極め、これからを決めてゆくにあたり、非常に有益な学びになるのです。先達の真似をしたいとかしたくないということではなく、高いところから評価的な見方をするつもりでもなく、私の先を歩んでいる方々から学ぶべきことがただただ多くある、ということなのです。

私はしばしばドラッカーの著作に書かれた、あるひとつのエピソードを思い出します。以下に引用します。

 「私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。『今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ』

 長い年月が経って、私たちは60年ぶりの同窓会を開いた。ほとんどが健在だった。あまりに久しぶりのことだったため、初めのうちは会話もぎこちなかった。するとひとりが、『フリーグラー牧師の質問のことを憶えているか』といった。みな憶えていた。そしてみな、40代になるまで意味が分からなかったが、その後、この質問のおかげで人生が変わったといった。

 今日でも私は、この『何によって憶えられたいか』を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けられるからである。運のよい人は、フリーグラー牧師のような導き手によって、この問いを人生の早い時期に問いかけてもらい、一生を通じて自らに問い続けていくことができる。」 (P.F.ドラッカー著「プロフェッショナルの条件」より)

人生を無駄にする・・・、もし人生100年あるとしたら100年が無駄になるかもしれない・・・中々ショッキングな指摘ですよね。私はこのエピソードを脳裏に持ちながら、先達からの学びをいただいています。そして、自分はどうであろうか、どうありたいかを思惟します。ちなみに、先達と認める人は、自分が『何によって憶えている人か』ですので、自分より年上か年下かはそれほど問題にはならないと付け加えます。誰からも学びはあります。みなさんのそばには、学びをいただける先達はいらっしゃいますか、またはそのような先達に出会えるような行動をしていますか。

今回は人生100年時代の先達についてお話しました。私は2023年9月からライフキャリアデザインカウンセラーを名乗り、個人や世帯の職業生活設計や資産設計のお手伝いをしようと決意し、今の会社での仕事を続けながら複業をすることにしました。保持資格としては国家資格キャリアコンサルタントとAFP(日本FP協会会員)をコアスキルとして、これまでの会社生活や人生経験で学んできたことを活かして会社内や地域社会に向けた価値創造につなげようと考えています。

私は来談者の方に今回お話ししたような支援でお役に立つことを使命とするライフキャリアデザインカウンセラーでありたいと思っています。ご関心を持っていただいた方がいらっしゃいましたら、ぜひお声がけください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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