「心と体の健康入門⑫」~「ストレス・フリー」から「自然治癒力」増強へ~

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学び
(4)「呼吸」「栄養」「運動」「想念」が健康・不健康な「自分」を作る

③結局、人間は「思った通り」の「自分」になる

「唯識瑜伽思想」~中期大乗仏教で、「アーラヤ織」(潜在意識・深層意識)を駆使する技法を完成し、「止」(奢摩他、シャマタ、「集中」からあらゆる想念の「消滅」へ)と「観」(毘鉢舎那、ビバシャナ、「瞑想」)による「速疾成仏論」に至りました。これは後期大乗仏教たる密教によって「即身成仏論」となり、空海が大成しました。この「成仏(成仏陀)」の部分を自分がなりたいものにしていけば、「即身成金持ち論」「即身成成功者論」「即身成世界ナンバーワン・スポーツ選手論」などと一般化されるわけです。

無念無想は雑念雑想の極致にある~よく座禅や剣道で「無念無想」ということが言われますが、これは最も簡単な「シャマタ瞑想法」(サマタ瞑想法)の境地です。例えば、柳生新陰流の奥義は「無想剣」ですが、これは「何も考えない境地」ということではなくて、「あれこれ考え抜いた結果、考える必要が無くなった境地」のことです。
 ある僧侶が座禅に取り組んだ時、過去の出来事や気にかかること、今晩の食事のことまでいろいろ浮んできて、なかなか「無念無想」になれないと悩んだそうですが、それが毎日毎日繰り返されていくと、さすがに3時間も頭をよぎっていたことが、20分くらいでよぎるようになり、そのうちよぎることもなくなったというのです。何度も何度も徹底的にあらゆる角度から考え、それを繰り返していくと、本当に考える必要がなくなっていくのです。まさに「無念無想は雑念雑想の極致にある」わけです。
 あるいは詠春拳から截拳道(せっけんどう、ジークンドー)という武術を創始したブルース・リーも、「初めてパンチを見た時は本当にすごいと思った。それからありとあらゆることを試してみて、もう1度パンチを見たら、それはただのパンチだった」と言っていますが、「徹底的追求」を経て「大いなる平凡」に至ることはどの世界でもあると言えるでしょう。

内なる声に耳を傾ける~実はこれは最も本質的な「ビバシャナ瞑想法」(ヴィパッサナー瞑想法)です。これは心理学的には「直観」、哲学的には「良心」、神学的には「内なる神」と言う所でしょう。不思議なもので、何でも「最初に心で思ったこと」「心の第一声」が意外に自分にとって必要なものを突いている場合が多いのです。「学校に通って勉強すべきだ」「英字新聞を読んでみよう」「思い切ってバイトをやめて大学を目指そう」などと、ある情報に触れた時、パッと思ったりするのですが、時間と共に理性が働いてあれこれ「言い訳」をこねくり始め、最初に浮かんだことをすぐに実行に移さない理由を「正当化」していくことが始まります。「別に今じゃなくてもいいじゃないか、もう少し考えてからにしたら」「いきなり英字新聞なんか読めるわけがないじゃない」「バイト先に迷惑もかかるし、しばらく仕事は続けながら、受験勉強もやったらいいんじゃない」などと、次々に最初の決意(アイデア)を骨抜きにかかってきます。なぜかというと、人間はついつい「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」を望む存在で、新たな決断をしてそれまでの生活の流れを変え、新しい生活を出発させていくことをなるべく先送りにしたい心理が働きやすいからです。ところが、答えはすでに出ているのです。先入観や偏見、浅知恵など抜きに、真っ先に心が反応したのは「やってみよう、踏み切ってみよう」という答えだったはずです。「自分に正直に生きる」ということは実はこの「直観的感性」「良心の声」「内なる啓示」に従うということで、その障害は外にあるのではなく、本当は内にあるのです。だから、「自分にウソをつかない」ということが大変なことだということがよく分かります。しかしながら、「自分に正直に生きる道」「自分にウソをつかない道」を行った時のみ後悔がなく、心から「納得」がいくのであるということも、実は「心では分かっている」のです。
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