「生命倫理と死生学の現在⑮」 ~人は何のために生まれ、どこに向かっていくのか~

記事
学び
(5)「臨死(ニア・デス)体験」の物語るもの
③「死」が決定的意味を持つのは人間だけ

「たましいの現象は不思議なことや不可解なことに満ちていた。ユングはそれらを真剣に観察し記録していったが、多くのことに関しては発表してもおそらく理解して貰えないだろうと思い、公表を長くためらったものもある。公表した後も、彼は死の時まで自分の真に述べたいことは世の中に理解されなかった、ということを嘆いていたという。もちろん、このことは彼自身も自分の考えを不確かなままで発言しているので、表現が解りにくかったり、彼が自分の行っていることに対する方法論についてあいまいであったり、直観に頼って理論的な詰めをおろそかにしたりするという欠点のためもあったが、何しろ彼の考えが時代の流れをあまりにも先取りし過ぎていたためと言えるであろう。
 彼がたましいの現象について見出した、もっとも大切なこととして、共時性(synchronicity)ということがあるであろう。これは端的に言えば、たましいの現象のなかには因果律によって把握できぬものがあること、それは「意味のある偶然の一致」と今まで呼ばれてきたように、継時的にではなく共時的に把握することのできるものであること、の指摘である。ユングはこの考えについて、まだ考えのまとまらないまま、その考えの一端をアインシュタインに話したら、アインシュタインは、それは極めて重要なことだから必ずその考えの発展を怠らないようにせよ、と言ったという。
 人間のたましいに関する研究を通じて、心理療法の在り方が根本的に変わってきた。フロイトの考えによれば、治療者は明確な理論と技法によって、患者の症状の「原因」を探り、その原因に対する何らかの対処の方法を見出してゆくのであった。しかし、治療者は人間の「たましい」を扱っていると自覚するかぎり、彼は原因結果の因果的連鎖のなかにおいて、その症状を理解しようとするのではなく、たましいのはたらきの不思議に身をゆだねることが大切となってくる。患者はおそらく、自らのたましいのはたらきをどこかで歪ませているのであろう。従って、治療者は患者のたましいが自然にはたらく場を提供すること、そこに生じる現象を注意深く見守ることが大切である。人間の心とか身体とか、心のなかのどこか一部に焦点をあてるのではない。たましいに注目するということは、人間の全存在に対して開かれた態度で接することである。」(河合隼雄『宗教と科学の接点』)

「ベルグソンが或る大きな会議に出席していた時、たまたま話が精神感応の問題に及んだ。或るフランスの名高い医者も出席していたが、一婦人がこの医者に向かってこういう話をした。この前の戦争の時、夫が遠い戦場で戦死した。私はその時、パリにいたが、丁度その時刻に夫が塹壕(ざんごう)で斃(たお)れたところを夢に見た。それをとりまいている数人の兵士の顔まで見た。後でよく調べてみると、丁度その時刻に、夫は夫人が見た通りの恰好(かっこう)で、周りを数人の同僚の兵士に取りかこまれて、死んだ事が解った。この問題に関するベルグソンの根本の考えは実に簡明なのです。
 この光景を夫人が頭の中に勝手に描き出したものと考えることは大変むずかしい。と言うよりそれは殆(ほとん)ど不可能な仮説だ。どんな沢山の人の顔を描いた経験を持つ画家も、見た事もないたった一人の人の顔を、想像裡(り)に描き出す事は出来ない。見知らぬ兵士の顔を夢で見た夫人は、この画家と同じ状況にあったでしょう。それなら、そういう夢を見たとは、たしかに精神感応と呼んでもいいような、未だはっきりとは知られない力によって、直接見たに違いない。そう仮定してみる方が、よほど自然だし、理にかなっている、という考えなのです。
 ところが、その話を聞いて、医者はこう答えたという。私はお話を信ずる。貴方は立派な人格の持主で、嘘など決して言わない人だと信じます。しかし、困ったことが一つある。昔から身内の者が死んだ時、死んだ知らせを受取ったという人は非常に多い。けれども、その死の知らせが間違っていたという経験をした人も亦(また)非常に多い。つまり沢山の正しくない幻もあるわけです。どうして正しくない幻の方をほっておいて、正しい幻の方だけに気を取られるのか。たまたま偶然に当った方だけを、どうして取り上げなければならないか、とこう答えたというのです。会議後、同席していたもう一人の若い女性がベルグソンに向って、「先きほど、あの先生がおっしゃったことは、私にはどうしても間違っていると思われます。先生のおっしゃることは、論理的には非常に正しいけれど、何か間違っていると思います」と言ったというのです。これを聞いたベルグソンは、私はその娘さんの方が正しいと思った、と書いている。
 これはどういうことか。ベルグソンはその講演で、こういう説明をしています。一流の学者ほど、と言ってもいいが、学者は自分の厳格な学問の方法を固く信じているから、知らず識(し)らずのうちに、その方法の中に這入(はい)って、その方法のとりこになって了(しま)うという事がある。だから、いろいろな現象の具体性というものに目をつぶってしまうものだ。今の場合でも、その医者は夫人の見た夢の話を、自分の好きなように変えてしまう。その話は正しいか正しくないか、つまり夫人が夢を見た時、確かに夫は死んだか、それとも、夫は生きていたかという問題に変えてしまうと言うのです。しかし、その夫人はそういう問題を話したのではなく、自分の経験を話したのです。夢は余りにもなまなましい光景であったから、それをそのまま人に語ったのです。それは、その夫人にとって、まさしく経験した事実の叙述なのです。そこで結論はどうかというと、夫人の経験の具体性をあるがままに受取らないで、これを、果して夫は死んだか、死ななかったかという抽象的問題に置きかえて了(しま)う、そこに根本的な間違いが行われていると言うのです。」(小林秀雄『学生との対話』)

【看取り論】(昭和大学医学部2023年度出題)
 看取りにおいては単に生物としての死が問題なのではなく、生をめぐる語りと関係の組み直しが問題になっている。それゆえ、場合によっては患者が亡くなった後にも看取る家族に対して<変化の触媒>として医療者が機能することがある。次の例は、若い母親が死に向かうときに中学生の子どもたちが関係を結べなくなるという場面である。

  Eさん 年末に、その人が亡くなったときに、三人の子どもさんがいてたんですけど、どんどん悪くなっていくのを、冬休みになったから、ずっとそばで見てるんですけど、いつも笑ってるんです、子どもたちが。まあ、一番下の子はお母さんのそばで泣いてるんですけど。いつも、いつも泣いてるんですけど、中学のお姉ちゃんたちは、スマホをいじったり、週刊誌読んだり、テレビ見たりして笑ってるんですね。でも、そのお姉ちゃんたちにもい、「もうお母さん、お正月は迎えられないよ」っていうことは、お父さんの口から話してもらってはいてたんですけど、なんでこの子たちは、お母さんが横でゲーゲー吐いてて、「ちょっと背中さすってあげて」って声を掛けたら、「さっきさすってあげたもん」って言って、お母さんが横でまだ吐いているのに、そう言ってお母さんに近づいてこなくって、「この子たちは、どんな、今、気持ちなんやろう?」と思って。でも、その、下の子どもは多分、自分の感情のままに泣いたり、お母さんにさすったりできるけど〔…〕(村上『在宅無限大』151-152)

 人は通常周りの人と関わりながら生きている。この場面では死にゆく母親と娘たちとのあいだでリズムがぎくしゃくしている。複数のリズムが出会うことなくぎくしゃくし、リズムにあった適切なテンポを取れなくなっている。
 三人の子どものうち上の二人は死別が近い母親に近づくことができず、自室にこもってテレビを見て笑っている。間近に迫った母の「死」という状況のもとで、母と子のリズムがすれ違ったまま対話もブロックしている。対話は体と体が出会うところから始まる。間近に迫った母の死は、部屋にこもった娘の<身体の余白>となっている。経験に取り込むことができない外部なのだ。
 この引用では変化(の不在)をめぐる時間が明瞭に表現されている。母の容態が「どんどん」悪くなるプロセスのあいだ、「いつも笑っている」長女次女と、「いつも泣いている」三女がいる。「どんどん」のなかでの「いつも」はリズムのすれ違いであり、長女次女が母親と関わるタイミングをつかむことができない状態を示している。「もう」正月は迎えられないという時間の限界があるなかで、上の子どもは「さっきさすってあげたもん」と逃げてしまい「今」が回避される。「この子たちは、どんな、今、気持ちなんやろう?」とEさんが問うのは、さまざまなリズムが交差するなかで、出会いのタイミングとなるべき「今」がつかみ取れてないからである。関係と欲望を組織化する「今」のタイミングがつかめない。このときEさんは変化の触媒になりきれていない。言い換えると膠着した状況のなかでの変化の触媒の作動は、さまざまなリズムのなかから「今」というタイミングをつかむという時間性を持つようだ。
 変化は死の直後に起こる。

  Eさん 結局、亡くなったとき、「Eさん、息してないみたい」って、その方のお父さ んから電話があって、行ったときにはもう亡くなってたんですけど、そのときも、その中学生の子どもたちは別の部屋にいて、「お母さんの体、すぐ冷たくなっちゃうよ。お母さんに触っといてあげて」って言って、その子たちの手をお母さんのおなかに当てて……。
  そうそう、亡くなったときもそんなふうにしてて、「お母さん、冷たくなっちゃうよ」って言って、お母さんのおなかに三人の手を、こうやって持っていって、で、「お母さん、まだあったかいやん」って言って。「でも、すぐ冷たくなっちゃうんやで」って言って、ずっと触ってて、で、触りながらやっと、その二人のお姉ちゃんたちが、涙がポロポロポロポロ流れてきてたので、『ああ、やっとちょっと泣けたのかな、感情がちょっと出せたのかな。でもその中学生の子どもたちに、私がもうちょっとうまく関われてたら、もうちょっとこの子たち、気持ち吐き出せたり、楽にできたんちゃうかな』とか思って、それもちょっと分かんないなと思って。なんかそういうことの繰り返しですね。(村上『在宅無限大』153-154) 

 母の温かい体が冷たくなっていくのを手で感じることで、娘たちはようやく泣くのである。看護師による働きかけを媒介として親子の関係が組み変わる。先ほどまではすれ違っていた場の*1ポリリズムが調和的なものへと整っていく。
 この事例では、Eさんが子どもたちの手を遺体に置くことにより、親子の関係が結び直されている。Eさんと下の妹が、上の子どもたちにとって経験が変化するための触媒としての機能を果たしている。
 まず下の妹は、「そばで泣いてる」ことで、母親の死を受け止めて母とリズムを交差させることに生前から成功していた。そのうえでEさんは姉妹三人の手をともに取ることで、下の子どもがすでに実現していた関係を姉に引き継ぐことに成功している。それゆえ二人の姉が話題になっていたのにもかかわらず「お母さんのおなかに三人の手を」添えたと、いつのまにか人数が変化していることに意味がある。Eさんと下の妹がそれぞれ触媒としての役割を担っている。
 姉二人から「涙がポロポロポロポロ流れてきてた」という意思を超えた*2中動相的表現は、状況の変化が自ずと起きたものであるということをよく示している。そしてEさんは「もうちょっとうまく関われたなら」と自問しており、実践が完成したとは考えていないのだ。その点でも意図的な実践を超えて、関係とリズムが変化している。Eさんが整えた環境のもとで状況が自ずと変化しているのだ。
 今はまだ温かいがすぐに冷たくなってゆく遺体は、生と死の*3あわいにある。「すぐ冷たくなっちゃう」一瞬のタイミングをEさんがつかめたことによって変化が可能になっている。予後告知もそうだったが、状況の変化はタイミングという時間を問いかける。
 このとき遺体に手が触れる<そこ>を支点として、関係と状況が組み変わる。手と体の触れあいが娘の身体の余白を埋めて娘は母と出会う。遺体と子どもの手の接点は<そこ>において変化の可能性が裂開する点であり、<変化の支点>である。ここでは生と死のあわいにある身体が際立たせられ、鍵となる。「まだあったかい」遺体と子どもたちの手の接点を基点とすることではじめて、この変化が起きているのだ。空間上はこの生と死への移行を可視化する特異点を作り出したことがEさんの働きである。つまり<変化のタイミング>がもつ空間的側面が、<変化の支点>である。ここでは生と死のあわいにある身体との接点を作ること、そしてすでに母親との関係の組み立てに成功していた三女との接点を作ること、この変化の支点を蝶番として状況はその姿を変える。
 支援者の機能は変化の触媒として願望・語り・対人関係の場を開くことであり、変化の支点を見出すこと(=変化のタイミングを[今]としてつかむこと)である。こうすることによって支援者は、関わる人の関係と行動が自ずと変化するような場所を開く。
 さまざまな医療現場を見学するなかで、変化を媒介するという支援者の機能が自ずと浮かび上がってきたのだが、支援職一般という視野で考えたときにいくつか指摘できることがある。
 定義すると、変化の触媒とは、ある状況が根本的に変化するときにその変化を促す証人である。医療者を含む支援者はそのような役割を担いうる。変化の触媒が促すのは、その時々における状況の語りであり、それによって当事者間の関係が組み替えられてゆく。
 ところで変化の触媒が関係の変化を促す作用であるとしたら、医療者と患者は親密な家族的関係である必要はない。むしろ親密な家族的心理臨床はミニマムに切り詰められた特殊な形態なのであろう。(中略)もちろん精神医学でも家族療法の伝統があり、最近ではオープンダイアローグが複数の支援者と家族が顔を合わせることの重要性を指摘しているとおりである。
 とくに医療や福祉の現場を通して見る限り、むしろ支援者と利用者の関係は、広い社会関係と連動しない限り機能しないようだ(中略)。というのは利用者が再構成すべきリズムはポリリズムであり、個人だけではなく社会関係へと拡がっているからだ。
 とはいえ対人関係だけを強調したいわけではない。語りと関係を再構成する変化のプロセスには、実は内省も連動している。死にゆく当人にせよ家族にせよ、私秘的な思考が深まるためにも対話が要請されており、そのためにも変化の触媒としての支援者が重要になる。侵されることがない私秘性の領域を確保するための装置としても変化の触媒は機能している。
 変化の触媒はある環境のもとで作動する。語りを促進し関係を調整する環境と、それらを不可能にする環境がある。心理臨床における守秘義務や閉じた部屋も環境であろうが、必要とされる環境は当事者のニーズによって変化するであろう。物理的な空間の設定も重要である。
 また変化を触媒する支援者は、当事者とともに状況に巻き込まれており、そのことが実践の出発点となる。別の若い母親をがんで看取る場面で、次のような語りがあった。
  Eさん うーん、ですね。(うちのステーションで看取る患者さんは)若い人たち、結構多いので、なんかこっちも、あの患者さんの場合、子どものことすら思ってて、私も、もう、なんか看護師というようり、一母親同士の感情になってしまう。いつもいろいろ悩みます。母親の感情に、一緒に母親になってしまって、子どものことどうしようって、すごい悩んでるときに、自分、もう看護師じゃなくなるんですよね。なんかそれはちょっとどうなのかなと。同じ母親同士の感情が、こう、行き来するようになってしまう。(村上『在宅無限大』145)
 このあとEさんは、両親をともに病で亡くして身寄りを失う子どもたちのために施設を探すことになっていく。距離を置いた仕方でこの場面に対応することは不可能であろう。古典的な心理臨床では、あたかも支援者が当事者の状況に巻き込まれずにニュートラルな立場にいるべきであると主張されることもあるかと思うが、少なくとも看護現場をフィールドワークする限り、巻き込まれる実践に必然性があると思われる。とりわけ死が関わる場合、重度の精神障害や身体障害で生存が脅かされる場合、貧困などの逆境の場合にそうである。有効な実践において支援者は支援しつつも支援されるという二重のスタンスを持つことが多い。触媒という単語を選んだのは、利用者と支援者がともに巻き込まれて相互に反応しつつ、ともに変化してゆくという側面を表現するためであり、つまり支援者が利用者の変化の触媒となるときには、同時に支援者は自らの実践のプラットフォームを生成変化させている。状況に巻き込まれつつ、ともに変化するのが変化の触媒としてとしての支援者であると言えるかもしれない。言い換えると、患者の変化を促す変化の触媒自体が変化するのだ。つまり利用者だけでなく、支援者自身も変化し、さまざまに関係を組み替えていくのである。
(村上靖彦『交わらないリズム――出会いとすれ違いの現象学』より。一部省略・改変)
*1ポリリズム…リズムの異なる声部が同時に奏されること。
*2中動相…動詞の表す行為が行為者自身にも及ぶ場合、形は能動態であるが、受動態の意味を表す。
*3あわい…間。
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