「逆境の哲学①」~様々な事例に学ぶ「運」と「ツキ」と「節目」の研究~

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(1)「運がいい人」と「運が悪い人」は確かにいる
①「運がいい人」の中には「財物に恵まれる人」と「人物に恵まれる人」がいる

●「財物に恵まれる人」は「金運のある人」と「物運のある人」に分かれます。結果としての因果応報もあれば、原因としての因果応報もあります。

●「人物に恵まれる人」は「友人に恵まれる人」や「引き立てを受ける人」などがいます。結果としての因果応報もあれば、原因としての因果応報もあります。

●市区町村議会議員・都道府県議会議員までは「能力」が問題ですが、国会議員は「運」「器」が問題です。国会議員はどんなに「能力」があっても、その時々の「国運」を受け止める「器」のようなものがないとなれません。これは必ずしも「器」が大きいかどうかということより、その「時」をつかめるかどうかが大きいようです。

●豊臣秀吉が徳川家康と共に最も恐れていた稀代の軍師黒田官兵衛は「小事をなすのは力量、大事をなすのは天運である」として、秀吉の「強運」を認め、自らが「天下人」を目指すのを諦めました。「生まれてくるのが20年遅かった」と周囲を嘆かせた伊達政宗も「運」で秀吉・家康に及びませんでした。秀吉・家康も範とした「不倒翁」「西国随一の戦国大名」毛利元就(もとなり)も、55年間、226戦を戦って生涯不敗でしたが、天下を狙うことを戒める遺訓を残しています。実際、軍事力なら織田信長よりも武田信玄の方が上でしたし、戦略なら秀吉よりも元就、持久力でも家康より元就の方が上だったとされます。

●日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破り、西洋のジャーナリスト達から「東洋のネルソン」と称された東郷平八郎が連合艦隊総司令官に抜擢された時、その理由は「東郷は運の強い男です」(山本権兵衛海軍大臣)というものでした。東郷は「この海戦は戦闘開始30分で決まった。我に天運あり、勝利したのだ」と語っていますが、後年、日本海海戦の勝因を聞かれて、「7分は運であった」「では、残り3分は?」「やはり、運だった。ただし、7分の運は努力の結果、引き寄せた運で、3分の運は天佑としか言いようがない」と答えたと言います。

●大学院入試で前日に先輩から渡された本より5問中3問出題されて合格した人もいます。この人は日頃から国際交流プロジェクトのために自腹で東奔西走する人でした。

●資産1,000億ドルを超えるビル・ゲイツやウォーレン・バフェットなども子供に莫大な遺産を残す気はなく、社会に還元する予定であると言いますが、「経営の神様」松下幸之助なども死ぬ前に慈善事業へ500億円寄付したことで知られます。松下幸之助は人相は決していい方ではありませんが、「自分はとても運がいい」と確信し、「経営者が単に自分の会社の利益だけを考える態度は本来的に間違っている。企業の存在する社会や国家、国際社会との共存共栄を抜きにして企業の繁栄はありえない。ビジネス活動を通じて社会の平和と幸福を実現しよう」と事業を進めたことに特徴があります。ちなみに松下幸之助は採用面接試験時に「あなたは運がいい方ですか?悪い方ですか?」と訊ね、「運はいい方です」と答えた人を優先的に採用したことがあると言います。萩本欽一も弟子を採用する時にやはり「自分は運がいいと思うか、悪いと思うか」と聞き、「運がいいと思う」と答えた人を採ったそうです。なぜなら、「運が悪い」と思っている人はせっかくチャンスがめぐってきても、それをモノにすることができないからであるというのです。「運も実力のうち」ということですね。

【ポイント】
 「自分は運がいい」と思っている人(好運体質・気質、強運体質・気質)とは友達になるべきです。また、自らも「自分は運がいい」と思うべきです。
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