キャンパスライフ充実編⑰:大学以外の「場」も必要です。

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One of these days is none of these days.(そのうち、そのうちと言っていることはいつまでもできない。)

 大学は主戦場にして居場所ですが、それ以外にもインターカレッジのサークル、バイト、ボランティア、ダブル・スクールなどを通じて、大学以外の「場」を持つことは大切です。大学は大体似たような人達が集まるものなので、居心地がいい反面、刺激を失って停滞していく危険性も持っています。「大学は出たけれど」と言っている人、言われている人は、大学の生かし方のみならず、+αの要素が余りにも乏しかったと言わざるを得ないでしょう。そこで、ここでは大学以外の「場」として、これまで見た以外のものとして、国際交流、文筆活動、勉強会・研究会を取り上げてみましょう。
 まず、国際交流ですが、伝統的に日本における国際交流の主流は欧米圏との交流にあります。ところが、国際交流の基本は隣国関係であり、ここで信頼関係を築けずして真の国際交流とは言い難いところです。しかし、同時に国境を接する隣国関係ほど難しいものはなく、歴史的怨恨や利害関係が入り組み、国際紛争を解決する重要手段として「隣国付加侵条約」(これは海の存在を考慮に入れると、考えられないほどの効力を発揮します)が真剣に考察されるほどです。日本の場合、まず韓国、次いで中国との交流が決定的に重要でしょう。今でこそ、若者の間では意識も変わりつつあり、スポーツ交流も盛んですが、80年代には教科書問題をきっかけに反日感情が再燃しており、ほとんどの交流プロジェクトは失敗したと言われています。機会があれば、積極的に隣国との国際交流、アジアとの国際交流に関与すべきでしょう。欧米圏(特に重要なのはアメリカです)との交流は、政治・経済・文化上の理由や安全保障上の意義がありますが、隣国関係・近隣関係をないがしろにして優先すべきではありません。例えば、韓国では徴兵制があり、若干の例外を除いて青年男子は皆兵役につかなければならないため、政治・経済・国防・安全保障などの分野において、日本の若者と決定的な意識の差がありますが、その一方でせっかく大学で学んだ知識も台無しになったり、交友関係に変化を強いられるなど、特有の悩みもつきません。韓国の片田舎で冷麺を食べていると、窓の外を戦車がガタゴトと走っていた、などという光景は日本では考えられないことでしょう。
 次に文筆活動ですが、これはわざわざ文芸部や新聞部に入った方がいいということではなく、無償であっても文章を書く、書かせてもらう経験や場を持った方がいいということです。それはタウン紙の記事でも一般紙への投書でもよく、サークルの会報でも、学部の出版物でも何でもいいわけです。これは誰でもできることではない分、貴重な経験となるものです。インプットにとどまらず、アウトプットの場を確保すること、できればそれでお金がもらえればいうことありません。一番、手軽なものは同人誌の作成で、クラスの有志を募って、役割分担をし、発行したら必ず喫茶店で品評会・輪読会をするのも楽しいものです。友人達には当然、売りつけますが、もうけは2の次でしょう。
 最後に勉強会・研究会です。大学の授業がおもしろくないので、有志で勝手にテーマを決め、勉強会・研究会を開くといったことは、向学心の旺盛な人達はよくやるところです。別に自分が主宰しなくても、そういう企画はあちこちにありますから、おもしろそうなものがあれば首を突っ込めばいいわけです。思わぬ掘り出し物にぶつかることもあります。
 例えば、有名な京都学派の祖・西田幾多郎の流れにはヘーゲル哲学・禅・神秘主義・キリスト教の4つがあり、キリスト教を除いてそれぞれの流れが生きていますが、その神秘主義の流れには弟子の西谷啓治がおり、そのまた弟子にドイツ神秘主義の大家にして、マイスター・エックハルト研究の第一人者である上田閑照がいます。この西谷啓治がある学際的な研究会に参加した時のこと、京都の多くの大学から教授・助教授が集まり、そうそうたる顔ぶれになりました。西谷のスピーチが終わった後、質疑応答の時間となりましたが、参加者の教授達の中には「実は私は卒論の口頭試問は西谷先生でした。『ところで君はどう思う?』と言われてさんざんしぼられました」と言う人もあり、それをじっと聞いていた西谷は「そうか、ところで君は今日の話を聞いてどう思う?」と問い返し、その場は途端に口頭試問の場と化したのです。こうなると1学部生の入る余地はありません。もともと京都学派の学風は「権威をうのみにせず、自分の足で歩き、自分の目で見、自分の頭で考える」という所に真骨頂があるので、これは当然と言えば当然ですが、こうした空気に触れるだけでも書物では得られない体験となるものです。

【ポイント】
①自宅と大学の往復だけは避けましょう。
 小学校・中学校・高校と大学は決定的に違います。自宅と大学の往復、あるいは自宅と大学とバイト先の三角移動のみというのは余りにも寂しすぎます。社会に出れば嫌でも多くの制約を受けるのですから、この時期ぐらいは多角的なライフスタイルを組みましょう。「自分は器用じゃないから、1度に多くのことはできない」という人も、意識を広げることだけはできます。意識を広げると、不思議なもので縁が広がり、出会いが出てくるのです。意識しないところにチャンスやきっかけは来ませんが、意識を持っているとちゃんと巡り巡ってくるものなのです。そうして少しずつ手を広げていけばいいわけです。

②大学は社会に出るステップです。
 家庭と社会をつなぐ緩衝地帯が学校であるとすると、大学はそれまでの学校生活と社会生活をつなぐ重要なステップ、最終段階であると言えます。ここでそこそこのことしかしなかった人が、社会に出てから大々的な活躍ができるでしょうか?失敗を恐れず、むしろ失敗を歓迎して、大学を超えた挑戦をすべき時でしょう。そして、こうした経験・体験は社会に出てから実に生きてくるのです。ムダのように見えても決してムダではないのです。
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