ダンテ『神曲』地獄篇第1歌でボキャブラ・アップ:第5連句

記事
学び
【C.H.Sisson英訳】
But when I had arrived at the foot of a hill
Which formed the far end of that menacing valley
Where fear had already entered into my heart,
【Mark Musa英訳】
but when I found myself at the foot of a hill,
 at the edge of the wood’s beginning, down in the valley,
 where I first felt my heart plunged deep in fear,
【野上素一和訳】
そのうちに私はとある一つの丘のふもとへついた。
その丘は私の心を恐怖でくるしめた
あの渓谷の終点をなしていたのである。
【平川祐弘和訳】
森の中で私の心は怖れおののいていたが、
 しかしその谷が尽きたところで
 私はとある丘の麓にたどりついた。

【語句】
menacing=脅かすような、威嚇的な。
 menace=(~で・・・を)威嚇する、脅す。脅す人の加害の可能性を強調します。
 threaten=「脅す」の意の最も意味の広い語。
 intimidate=脅すことによって、相手の言動を束縛する。
plunge=(人・物・事)を(ある状態に)陥れる、追い込む(into, in)
 be plunged=(ある状態に)なる(into, in)
 She was plunged into the depths of despair.(彼女は失望のどん底に追いやられた。)
丘=この「丘」は「地獄」たる「谷」の終点に位置していたのですが、同時に「煉獄(浄罪)山」のふもとでもありました。「煉獄」はこの上にあり、さらにその上には「天国」が存在するのです。

【解説】
 ダンテは『神曲』を書くに当って、「テルツァ・リーマ」(三行韻詩)という詩型を編み出しています。これは一連が三行から成り、各行は11音節から成っていて、三行連句の脚韻が ABA、BCB、CDCなどと次々に韻を踏んでいって鎖状に連なるという押韻形式です。したがって、これを翻訳するのは不可能と言わざるを得ませんが、「三行一連」という形式だけは壊すべきではないと考えられます。ダンテは「三数」を重視したため(「三位一体説」から来たものと思われます)、こうした詩型が生れたと考えられますが、『神曲』の全体構成が地獄篇・煉獄篇・天国篇の3篇から成り、各篇が33歌から成っているのも、ここに起因するようです。また、地獄篇第1歌は全体の序歌となっているので、『神曲』は全百歌(1+33+33+33)から成りますが、これは「十数」を「完全数」と考えていたためでしょう。
「優れた詩は、代替不能の言葉の群から成り立っている、と私は考える。そしてそれらの言葉は、それぞれの意味を表わすと同時に、詩全体が表わそうとする方向を指し示している。なぜなら詩は、本来、言い表し得ぬものを表わそうとするために言葉を組み立てるから。あるいは、詩は向日葵(ひまわり)の群落であると言ってもよい。向日葵の花弁や葉は一つ一つが詩語であり、一茎の向日葵は詩の一連だ。そしてそれらの群落は等しく光源を振り向いている。詩語における隠喩の問題、詩における類推の問題などは、後に断るように、いまは論議する場でない。だが、『神曲』が寓意の文学であることだけは、ここで思い出しておかねばならないだろう。」(河島英昭東京外国語大学名誉教授〔イタリア文学〕~寿学文章訳のダンテ『神曲』が集英社から出版された時の書評)
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