【自己紹介】Takashi Uemuraと申します

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はじめまして!このブログでは、わたくし Takashi Uemura の自己紹介を行いたいと思います。2022年4月から国内ノマドワーカーになり、2023年5月から世界を旅しながら「外国語を使って仕事する」ことをテーマに国際的に複業ノマドワーカー(以下:スラッシュワーカー)としてサービスを提供させていただきます。今回のブログでは、自分の生い立ちと外国語(特にドイツ語)との関係、学歴、職歴およびスラッシュワーカーになった契機、ココナラでの活動方針(提供サポート)などについて書きます。

1. 小3でドイツに渡り、異文化と触れ合った帰国子女

冒頭の通り、私は「外国語を使って仕事する」ことを主軸に複数の仕事に従事しております。ただし、これは成り行きそうなったわけで、むかし子どものころ夢に見た「将来の自分」ではありませんでした(子どもの時は空港で勤務しようと思っていました)。ところが、上記のテーマで仕事に就いた契機は、どうしても子どもの時の経験に遡ります。

私は小学校3年生の夏、ドイツへ渡りました。

理由は親の仕事の関係でしたが、当時の私にはドイツは未知の領域でした。かろうじて、噂で聞いたことは「ビールとソーセージが美味しい」というものでした。しかし、当然ビールは飲めない年齢ですし、食べ物も祖母が買ってくれていた寿司が好物だったので、ドイツは興味の範疇外でした。それでも、親のキャリアのためには止むを得ずドイツに渡る以外方法はありませんでした。

はじめてドイツの地に降り立ったとき、子どもながら記憶していることは「周りがガイジンばかりで何か怖い」という感情を持ったことです。自分がドイツでは外国人にもかかわらずです。おそらく、見る人見る人が大柄で目鼻立ちの違う人々に囲まれて、私は正しい認識ができなかったのでしょう。

その強烈な経験が、異文化(ドイツ文化)理解と理解するための強い関心に変わったのは、滞在して1年が経った後でした。それまではもう「日本に帰りたい」だの「こんな怖い国は、おさらばしたい」だの、今いる自分の与えられた環境を受容できない態度でいました。

では、1年経ったのち、その否定的態度を変える、どのような契機があったのでしょうか?そこにはドイツ滞在を受け入れる、自分でも非常に見逃しがちで忘れがちな、とても小さな思い出がありました。

そもそも、私が一番恐れていたのは「言葉の壁」でした。

ドイツの学校へ登校した初日、郵便局の配達員のドイツ人にドイツ語で話しかけられて「脅されたぞ!」と感じて萎縮したことを今でも記憶に鮮明に留めています。それだけ「何を言われているのか全く分からない」というのは実際には恐怖であるということが出来るでしょう。そういうこともあり、滞在開始の初年は、現地のドイツ人との交流を、なるべく避けていたのです。

ところがある時、公園で卓球をしていたら、現地の同年のドイツ人がやってきて、一緒に試合をしようと言われたことがありました。初めは緊張していましたが、卓球という共通のスポーツ種目を共有しているうちに、相手の仕掛けや球筋の癖を理解できるようになりました。この時、実は「言葉」というのは唯一無二のコミュニケーション・ツールではなく単純にツールのひとつに過ぎないこと、そして「言葉の壁」も、自分が恐れているほどには大きいものではないことを感じたのです。

それからというもの、ドイツ生活と社会に溶け込む様になり、帰国後もドイツ語を継続することになったのです。

2. ドイツ語を継続し研究のため大学院進学

帰国後、高校と大学は日本で通いました。受験や研究など忙しい傍ら、ドイツ語の学習は続けていました。ちなみに大学の専攻は経済学でしたが、私が通った大学にはドイツ語の集中コースがあり、1セメスター全期にわたり週3回の授業を受けました。それだけでなく、他のドイツ関係科目も履修していたので、登録した講義や演習および授業の半分はドイツと関係があるという時もありました。

それだけ「ドイツ漬け」だった私が選んだ進路は「ドイツ専門家」になること、とりわけドイツ語学を専門にして、ドイツ語を教える教授になることでした。一応、就職活動もしましたが、ドイツ語を使いたいという意志は曲がらず、周囲の反対もありましたが、研究職を目指すべく大学院に進学しました。

大学院では言語学を専攻し「ドイツ話し言葉」をテーマにドイツ語研究とフィールド調査も行いました。

研究について話せば紙幅を多数要するので、詳しくは後のブログで述べるとして、ここでは簡潔にまとめます。

言語を使用するとき、私たちには四つの技能があると言われています。それは「聞く」「読む」「書く」「話す」です。これを二つのグループに分ければ、「聞く」と「話す」および「読む」「書く」に分けられます。というのも、前者は「話し言葉」であり後者は「書き言葉」になるからです。

日本語でも「〜してる」と「〜している」というのは、同じ機能を持っています。前者は口語体(話し言葉)であり後者は文語体(書き言葉)であると捉えることも可能です。言い換えると、日本語には話し言葉でしか用いない文法や語彙、または書き言葉でした用いない文法や語彙があるということです。

ところで、私が研究室に所属したとき、ドイツ語学者の間でも「ドイツ語でも話し言葉と書き言葉には異なる文法や語彙があるはずだ」という仮説を検証研究する一派がありました。もといドイツ語学では「ドイツ語では基本的に話し言葉と書き言葉で共通した文法や語彙を用いている」とか「書き言葉が文法と語彙の中核をなしている」など、話し言葉を場末的に扱っている傾向がありました。しかし、フェルディナン・ド・ソシュール以降の一般言語学では、それは間違いではないかという反証があったほど、話し言葉が中心にあるべきだという立場が強いです。その意味で、ドイツ語学は文献を漁り研究することを筆頭とした「書物の学問」として、いわば先進的とは言い難い「シーラカンス」のような状況だったと言えるでしょう(言葉遣い・表現については、悪しからずご了承ください)。

私は、いわばドイツ語を一般言語学の立場から分析する立場を取り、主に文法にフォーカスしていました。ドイツ話し言葉の文法的特徴を洗い出し、記述し、そして分析と説明を加えるという流れで研究を進めていたのです。巷の人にとっては、全く社会的意義の見えない研究でしょうが、ドイツ語学上で価値があったことと、話し言葉の悪いレッテルを返上する使命があったと言えば、何となくご理解いただけるでしょうか。

この研究者時代は大学院修士課程に入ってから博士後期課程を出て、講師の傍ら研究していた時を含めて、およそ10年ほどになります。

3. 大学ドイツ語講師から翻訳業に転換しスラッシュワーカーへ

2015年4月、私は長い学生生活に終止符を打って、大学や専門学校の非常勤講師として勤務をはじめました。教えていた項目は初級文法と会話およびドイツ文化についてでした。夢にまで見た、ドイツ語学教授になるための第1歩でした。

ところが、その道は3年半後に途絶えてしまいます。

というのも、毎セメスター平均して50名〜70名の履修者を管理し、それぞれの学習特性を分析し成績管理をしているうちに、心労から健康を害してしまったこと、研究に充てられる時間が大幅に減少してしまったことが主な理由でした。教授への道半ばで、私は未練もありながら倒れてしまったので、私は代替案を探す必要がありました。

幸いにも、大学院修士の時代から御世話を頂いていた芸術系NPO法人で翻訳と通訳および芸術家の国際交流企画を運営するアルバイトスタッフを続けていたので、当座は上記の業務をこなして生活の糧にすることになりました。それに付随して、芸術家を観光案内することもあり、インバウンドの旅行業や観光業にもある程度明るかったこともあり、何とか生活はできていました。

とはいうものの、稼げたとしても月8万円にも届かず、生活の困窮は増すばかりでした。そういうこともあり、フリーになって他の国へ移住することを、ずっと考えていたのです。その理由を以下に述べます。

1) 同じ場所に居続けても埒があかない
私が住んでいた居住地では、旅をしながら仕事をするフリーランサーは殆どいなかったため、コミュニティはおろか仕事すらもフリーランス向けには求人に上がらないというのが現状でした。言い換えると、私の居住地を出て他を目指さなければ仕事にもありつけなかったのです。しかも案件も取るのが難しく、たとえ「仕事あれば依頼します」と言われても依頼など何もこないのが常でした。このような現状を打破すべく、同じ場所に居続けることをやめて、外に飛び出そうと思い立ったのが、2022年4月のことでした。ただし、コロナのこともあって、私の飛び出せる範囲は必然的に日本に限られました。それでも、福岡、富山、広島、東京、茨城など、今まで行けてなかった場所へと行けたのは良い経験でした。

2) 固定費を下げたい/海外案件を取りたい(外貨で報酬を得たい)
1)の様に考えていた私が海外に飛び出したいと思う様になった理由は3つあります。ひとつ目は、物価(実質賃金)です。日本はデフレのため物価上昇は諸外国に比べて緩やかですが、実質賃金は増税や社会保険料の引き上げ、または後に述べる円安傾向が原因で低下の一途を辿っています。日本は確かに誇らしい国ですが、いかんせん固定費が生活を圧迫している状況には変わりはないわけで、その固定費を下げることが私の課題となっていました。また、ふたつ目の理由は円建て報酬だけでなく外貨報酬の案件もあった方が資産運用としても良い解答であると考えついたためで、私は現在でも海外案件も取りたいと考えているほどです(ココナラとは、あまり関係ないですが...)

3) 日本とは異なる世界の一面を見たい(海外が好き)
最後の理由は個人的な価値観によるものではあります。私は、自分が今まで見てきた世界の一面ではない面に興味があり、依然として「海外好き」であるといえます。もちろん、先述の通り私は日本に誇りを持っています。しかしながら、活躍できる場と自分の更に強い興味や関心が海外に向いているのです。それゆえに、日本人として誇りを持ちながらも海外で活躍したい... その足掛かりとして海外旅ノマドワーカーを実行しているのです!!

月日は流れ、2023年5月4日、私は複数の業務をこなす海外旅系フリーランサー(いわゆる「海外ノマド」)となりました。これを一部の方は「スラッシュワーカー」と呼んでいます。肩書きを区切るスラッシュ(/)に因んで名付けられたものです。いま、居所の住民票は残しながらも、世界を舞台にした旅に出ました。これからは仕事と旅を両立させて、ユーザーの悩みを解決できるサポートを提供できれば、この上なく光栄に存じます。ココナラへの出品は、その大きな一端を担う重要なものと位置付けております。

4. まとめ:ココナラで出品したいサポート

以上のような経緯で、私はココナラに出品者として積極的に活動したく思っております。とはいえ、まだ駆け出したばかりで、ココナラに出品できるサポートは限られています。しかし、今後成り行き様子を見て増やしていければと思っております。

詳しいサポート内容は、出品枠をご覧いただけると分かりますが、大まかにはマイページの自己紹介欄に書いたような種類のサポートをさせて頂きたく目下準備に取り掛かっています。その項目を下に添付します:

翻訳・校正・添削(日本語・ドイツ語・英語)、調査(ドイツ語圏、英語圏)、オンラインレッスン(ドイツ語・英語)、Webライティング(記事作成)、および事務補助などスキルセットや出品カテゴリーに該当するサービス

また2023年5月の時点のスキルセットは以下の通りです:
翻訳・通訳、フィールド調査、外国語講師、国際交流運営・企画、一般的な事務関連業務、アンバサダー業務

今回のブログでは自己紹介として、生い立ち、研究内容、ココナラでの活動についての計画に関することを書きました。上述の通り、ココナラではドイツ語と英語のサポートを提供させて頂きたく存じます(いずれはスペイン語も導入しようと計画を立てています)。出品公開は目下のところ5月下旬を予定しております。至らない点も何かとあるかと拝察されますが、精一杯取り組み、積極的に活動して参りますので、みなさまのサポートが可能ならばこの上なく幸いです。今後とも、何とぞ宜しくお願い申し上げます!

*備考:☞カバー写真はメキシコの世界遺産都市グアナファトの街並み
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