なんで俺が偏差値40台の高校から有名私立大学に!?

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このたびはこの記事をご購読いただきありがとうございます!

この記事は、私自身の実体験をもとにした、すべて実話、ノンフィクションの記事となっております!

そして、私のこれまでの人生を時系列順に語っていくような構成となっているため、受験生であれば、今の自分の境遇と重ね合わせることもでき、受験生以外の方であっても十分楽しめるような作りになっていると思っております!!全ての購読者様のためになるような時間を提供できたら幸いです。

ぜひ、最後の一文までお楽しみください!


1 プロフィール


・埼玉県生まれ、埼玉県育ち

・公立小学校→公立中学校→県立高校→専修大学

偏差値40台の高校から、塾や予備校、映像授業など一切利用せずに独学で専修大学に一般受験現役合格

・現在は、独学で培った知識を生かし、大手個別指導塾の塾講師を担当


2 高校生活 ~部活引退まで編


私は、中学校、高校とバスケ部に所属していました。特に、高校時代のバスケ部がかなりブラックでした。

朝の7時には朝練が始まるので、毎朝起きる時間は5時30分。そこから電車を使って、学校に通ってました。放課後は夜の7時過ぎに練習が終わるため、どれだけ急いでも寝る時間は夜の11時をまわってしまう。つまり、


睡眠時間最大6時間30分

学校滞在時間12時間越えの日々


を過ごしていました。もちろん土日の部活もあり、一日の練習時間は、基本的に5時間越え。練習試合なども月に3回は必ずといっていいほどあり、高校生としては、超多忙な毎日を過ごしていました。

そして月日は流れ、私たち3年生にとって最後の試合が始まったのですが、私たちのチームの努力もはかなく、


初戦敗退を喫しました。


そのまま、私たちの代は6月の上旬ごろに全員引退することになったのです。
こんだけ練習してきてたのに、努力が報われなかったな・・・って思って正直めちゃくちゃ悔しくて、喪失感が半端なかったです(笑)しかし、後にこの努力は生かされることになるのです!


3 高校時代 部活引退~夏休み前編



そんなこんなで部活を引退した私。自分の進路について一応考えてみたが、全く分からない。特に夢もない。あーー将来なにになればいいんだーーーーー!!!そんな時、同じバスケ部だったN君がこんなことを言い出しました。


みんなで一般受験しようぜ!


この言葉に当時7人だったバスケ部の友達のうち、自分含めて4人が賛同し、バスケ部が一般受験部(仮)に改革されることになったのです。(笑)

こうして一般受験を志すようになった私は、まず第一志望の大学を決めることにしました。一般受験部(仮)の友達は、それぞれの第一志望の大学をだいたいMARCHラインに考えているようだったので、私もとりあえずノリだけで第一志望をMARCHにすることにしたのです。

とはいうものの、偏差値40台の高校からMARCHに行くというのは相当難しいことであることは理解していました。私たちの学年で一般受験をするのは全体の7%ほど。それ以外の93%の人たちは推薦を使って専門や短大、4年制大学に進学または、就職をするという状況でした。

さらに厳しいことに、私たちの代の一つ上の代の先輩方の進学先の中で、最も偏差値の高い大学は、指定校推薦を使った東洋大学や東京電機大学の人気のない学部であり、一般受験を志す人はほとんどいないという状況でした。

つまり、偏差値40台の高校というのは、


一般受験をする習慣はほとんどない


というのが現状なのです。

そんな中、一般受験でMARCHに受かるというのはほぼ不可能なことであるということがわかると思います。結論から言ってしまうと、実際に私も法政大学を受けましたが、不合格でした。しかし、専修大学に関しては個別試験を2回受けて、2回とも合格したので、偏差値40台の高校の生徒にしては、立派なMARCH志望の受験生であったことはお分かりになると思います。

少し話がそれてしまいましたが、偏差値40台の高校の実態は上記のような状況であるということが伝わっていれば幸いです。

このような状況であることを踏まえ、まず私は予備校に通うことを考えましたが、家庭の金銭的な問題により、大手の予備校に通うことはできませんでした。そのため、独学で受験勉強をせざるをえない状況となりました。そんな状況の中でも、私は基礎から講義をしてくれるような参考書を調べたり、ネットで情報をかき集めることで、自分に合った参考書を買い、勉強を進めていきました。

そうして7月に突入し、夏休みに入る前に担任の先生と私そして私の母親の3者で3者面談をすることになりました。もちろんこの時点での私の学力が著しく低いことは分かっていました。それでも、なにか受験にかかわる情報をもらいたい。その一心で私は、3者面談の場で勇気を振り絞り、担任の先生に


第一志望は法政大学で、滑り止めを日東駒専ラインにしたい


と正直に言いました。
すると担任の先生は


大東亜帝国レベルを第一志望にした方がいいと思うよ


とだけ言い、推薦のほうがいいことを進める話をされ、一般受験のことを聞いてもやんわりとあしらわれて、時間が来てしまいました。この言葉を受けた私は、絶対にこの先生を見返してやると決意し、

ここから私の人生史上最も過酷な夏休みに入るのでした。

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