№23 大河ドラマ どうする家康

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皆さん どうもこんにちは タイラです。

いかがお過ごしですか。私は仕事とココナラビズネス中心にマイペースでやっています。今関西では雨が降っており、今日辺りからぐっと寒くなります。インフルエンザもまだ流行っていますので、まだまだ油断はできないですね。毎度のことですが、体調にはくれぐれも気をつけてください。やっぱり体が資本ですからね。

さて、今回はリクエストがありましたので、大河ドラマのどうする家康を書いてみたいと思います。どっちにしろいずれ書いてみたいと思っていましたし、私自身かなり強い思い入れがありますので詳しく書きたいとおもいますが、ただ、ブログで全て書くことはできませんので、大事なポイントに絞って話ていきたいともいます。見てて面白いというのはもちろんですが、かなり勉強になるので見ているというのもあります。早く楽しんで頂こうと思います。
では、さっそくいきましょう。

まず大河ドラマを楽しみに見ていると聞いて歴史家かと思われるかもしれませせんが、そうではありません。歴史は好きですが、歴史家程ではありませんし、全ての日本史、世界史を把握しているわけではありません。
ただ、重要なポイントになるような歴史はよく見たり研究したりします。その代表各が幕末の明治維新と今回舞台になった戦国時代です。

なので、大河ドラマも毎年見ているわけではなく、こういった時代に焦点を当ててみるケースが多いです。それで今回見ているわけですが、ただ、今回の大河ドラマは特に力を入れてみたいと思っていました。

なぜか?
それは単に戦国時代だからというわけではなくテーマが徳川家康だからです。今までも戦国時代の武将とか女性をテーマにした大河ドラマはたくさんありましたが、そういった人物と徳川家康と大きく違う点が一つあります。

それはなにか?
それは寿命です。戦国時代の当時の平均寿命はだいたい37歳~38歳くらいの短命です。今までの戦国武将のだいたい50歳くらいです。それに比べて徳川家康は、75歳までいきました。これは当時の平均寿命のほぼ倍です。現代に当てはめてみたら、恐ろしいくらの長寿です。

今までの大河ドラマの主役やそこまでの長寿ではないため、ドラマでは時代の一部分しかみれないケースが多かったのです。例えば戦国時代だと、戦争中心の分しかみれないとかです。

それに比べて徳川家康は当時ではトップクラスの寿命だったため、また生き残った為、時代のいいろんな変化を見ることができて面白いですし、勉強になります。

例えば、幼少期の頃今川義元の元で人質になっていたこととか、一国の主として三河の国を統治し納めて、のちのちに名を残し大名になっていく有能な部下を自分の配下につけたり、織田信長と同盟を組んで周りの戦国武将に連戦したりとかです。同盟といってもかなりの力関係があり、ほぼいいなりだったみたいですが。また、織田信長が本能寺の変で亡くなってからは、豊臣秀吉の力、権力に屈し、苦渋の決断で配下となりずっと不利な扱いを受けてきました。三河(愛知県)から江戸(東京)に国替えをしろといわれたりね。個人や会社の引っ越しレベルではなく大変です。また豊臣秀吉がなくなってから、石田三成と関ヶ原で天下分け目の大戦をして大勝利をおさめ、大阪冬の陣、夏の陣で豊臣家を滅ぼしやっと乱世を納め天下をとりました。

まあー一つ一つ詳しくみていく必要はなく、長寿で生き残ったたためこれだけのことがあったと思っていただければといいいです。そのため、今回の大河ドラマはテンポが非常に早く、いつも大河ドラマなら一つの大きな出来事に対して一か月半~二か月くらいかかりすが、今回の大河ドラマは歴史的な大きな出来事でもだいたい一、二週間くらいで終わらせて、バンバン次またその次とこなしていってます。長寿の徳川家康の時代の出来事を一年で納めるにはそのくらいのペースでやらないと、こなしていけないと番組側、制作側が判断したのでしょう。

じっくり見たい方に関しては慌ただしいですが、私個人としてはいろんな要素が楽しめて複合的に見れるので、テンポの速い今の時代に合っているのではないかと思います。

話を戻します。

でっただ単に徳川家康が長寿で生き残ったかといとそうではなく、人生の前半は戦で負けっぱなしで、逃げて生き残ることの繰り返していたため、この逃げることの重要性を特に大事にしていたようです。そして、同時に自分で薬草を開発していて(今でいうサプリメントです)、戦で生き残るだけでなく、自分の寿命を延ばすことを戦略的に考えていたようです。それが功を奏し豊臣秀吉よりも長く生き残ることができ、自分の出番や主役が回っていたら一気に畳みかけて天下をとりました。

徳川家康は元々弱小武将といわれており、初めの頃は本当に弱かったのですが、逃げて生き延びて時を稼ぐことにより、年月が経つにつれていろんな戦闘手段や勉強、戦略などを身につけ、最終的にはどこの武将にも負けないくらい、また天下を取るくらいの強大な力になっていました。

これは、自然界の弱肉強食の原理にも言えることですが、戦闘好きの強い個体が生き残っていくのでなく、むしろ戦いを避けて逃げ延びてエネルギーを蓄え力をつけていく個体のほうが子孫を残せるケースも少なくありません。ケンカや戦闘好きのものは、なまじ強いため永遠に戦ってしまいいつかやられてしまいます。何回かは勝てますが、それでもダメージは残ります。その状態で連戦すれば、次の敵にあっさりやられてしまい生き残ることができません。逆に戦いを避け生き延びた者は力、エネルギーを蓄え、それを子孫繁栄に使えます。

なにが言いたいかというと、徳川家康はこの自然界に原理を地でいっていて、天下をとりました。ほかの武将は下手に戦ってしまい、討ち死にして生き残っていけなかったんですね。

まあー全ては書けませんが、後重要なポイントとしては、私が研究する限り、徳川家康というのは、当時でいう人心をすごく大事にしていました。つまり人の心ですね。
織田信長は乱世を武力で制圧しました。なので有無を言わさず酷いこともしました。
豊臣秀吉は、権力で各武将を押さえつけていました。確かにそれで戦にはなりませんでしたが、横柄がすぎたため、不満や不信感がでました。豊臣秀吉が生きている時はしたがっていましたが、秀吉がなくなってからはそれを引き継ぐ石田三成にはあまりついてきませんでした。

対して徳川家康は人心を大事にしていたので、多くの人がついてきて、天下分け目の大戦の勝利し、最終的に天下をとりました。それが260の江戸時代、徳川幕府になりました。石田三成は理屈や道理中心で、人心というものをおろそかにしたため、それが関ヶ原の戦いで味方をあまりつけれずに大敗につながりした。

織田信長や豊臣秀吉のような武力や権力でも天下は取れましたが、長続きなしませんでした。
これだけ江戸時代が長く続いたのも、徳川家康の人の心を大事することがベースになってのではないかと思っています。

まあーそれに関してはココナラビジネスにも通じるものがあるかと思います。

現代の社会も秩序を守るには、警察や法律、そして各規則、ルールは必要になってきますが、でもその大本になるのは、人の心だとおもいます。良心と言い換えてもいいでしょう。そおいう人の心や良心というものが、しっかり社会に根付いていえば、そこまで警察や法律でガチガチの規制にしなくてもやっていけると思います。

だいたいそんなところですね。
この一年はいろいろ大変なこともありしたが、この大河ドラマのどうする家康に助けられてきたケースがたくさんありました。それに継続は力じゃないですけど、一年間続けるというのはやっぱり効果が大きく、いろんな生活や仕事、そしてココナラビジネスの力にもなりました。

後は俳優陣で岡田准一や松潤、板垣李人光人、森崎ウィンとかのイケメン俳優もでてますので、女性ファンの方にとってもたの楽しめる内容になっているのではないでしょうか。
後何回かやりますし、年末には特集組んでやるとおもいますので、お時間があれば是非見て頂ければと思います。結構いろいろ勉強になり、大事なことを学べ、また楽しめるのでお勧めです。

また、皆さんとこういった話はできるといろいろと勉強になったり、発見が多かったりしますので、話せる機会があれが是非話してみたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございます。


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