つつほ町怪奇譚

記事
小説
 ひいおばあちゃんが亡くなった。
 九十二歳の、大往生だった。
 ◇ ◆ ◇
 ひいおばあちゃんは、私たち一家と同居していた。
 こう言うと、介護が大変だっただろうなんて思われそうだけど、ひいおばあちゃんは最期の時の直前までぴんぴんした元気な老人だった。
 庭いじり、今でいうガーデニングが趣味で、うちの庭を全面的に整えていたのはひいおばあちゃんだ。
 ひいおばあちゃん亡きあと、あのそこそこ広くて小さな池まである庭をどう整えていくか、正直家族の間では悩みの種だった。
 ひいおばあちゃんが亡くなる前日も、いつものように庭いじりしていたらしい。
 特にどこが痛いとかだるいとかいうでもなく、全く普通の様子だったから、誰もが油断していた。
 私も出勤した後の時間になって、いつもは早いひいおばあちゃんがなかなか起きてこないことに、お母さんが不審を抱いた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
 そういってベッドにかがみこんだお母さんは。
 その時になってようやく、ひいおばあちゃんが息をしておらず、とっくに冷たくなっているのに気付いた。
 まあ、その後のごたごたは省略しよう。
 みんな、身近な人が亡くなったことがあれば、なんとなく予想がつくと思う。
 通夜、葬式を終え、遠方の親戚も帰ったその晩。
 あたしたちは、ひいおばあちゃんの部屋に集合していた。
 要するに、ささやかな「形見分け」をしようというのだが。
 おばあちゃんは、割と古いものを大事にする人だったから、色々珍しいものが残っていたのだが。
 明らかに芸術的価値の高い花瓶、孔雀石の数珠、掛け軸に、えらくレトロなアクセサリー類なんかがいっぱい。
 正直、私はあまり興味を引かれなかった。
 一番の宝は、ひいおばあちゃんだったと思っていた。
 毎年、魔法のように、庭を花でいっぱいにしていたひいおばあちゃん。
 庭にはリンゴの木があり、毎年リンゴが収穫できたのだ。
 なんという種類だったのか、店で売っている品種とは違った美味しさのあるリンゴ。
「蓮(れん)は、いらないのか?」
 お父さんが、私の顔を覗き込んだ。
 妹の菊花(きっか)とお母さんは、すでにひいおばあちゃんの形見のアクセサリーをかなりがっつり確保していたのだが、私はまるで手出ししようとしなかった。
 それがお父さんには奇妙に思えたようだ。
「うん……」
 私は、何か言い訳しなくちゃと考え込み。
 ふと、うつむいた表紙に、「それ」に気付いた。
 古い、地図だった。
 多分、このあたりの地図だと思う。
 私たち一家の住んでいる町の名前が、筆書きされているのが見えた。
 セピア色と言えば聞こえはいいが、すっかりくすんで変色し、端っこのすりきれた地図だ。
 横書きの文字が、左から右ではなく、右から左に書いてあると言えば、どのくらい古いか想像できようというもの。
 私は何かに取り憑かれたように、「それ」に手を伸ばした。
「これ、ちょうだい」
「ん? なんだこれ、地図? こんなものでいいのか?」
 お父さんは、明らかに不思議そうに、私を見返した。
 それはお母さんも菊花も同じだったらしく、怪訝な顔を見合わせていた。
「……私、古い地図とか、好きなんだ。骨董品はお父さんが好きだし、アクセサリーなんかはお母さんと菊花が石を外して直したりして使うでしょ? 私はこれがいい。昔のこの辺と、今の街並みと、比べて歩いてみたい」
「蓮姉、相変わらず物好きだねえ……」
 菊花の呆れたような声に、私はぽっかり空いた胸のまま、無理に笑ってみせた。
 お母さんはいくらなんでも申し訳ないのか、この指輪の石なんか蓮に似合うわよ、直してプレゼントしてあげる、と申し出てきたが、私はその有難い申し出を、丁重に断った。
 ◇ ◆ ◇
 翌日はよく晴れていた。
 私は例の地図を片手に、街歩きに繰り出した。
 この辺は比較的、古い地名がよく残っている方だが、それでも昨今の例に漏れず、他の町と合併してなくなってしまった町もある。
 近所の神社の池が、元は三倍くらいあったのが一番驚いたところだろうか。
 やっぱり昔はあった大きなお屋敷が並みの大きさの住宅数棟に化けていたり、家並みが取り壊されて道路が拡張されたりしているのが感慨深い。
 街に歴史あり。
 これが、ひいおばあちゃんの若いころの街並みだったのだと思うと、当惑にも似た気持ちが、ふと胸を突いた。
 と。
「……つつほ、町……?」
 私は、その通りの前で足を止めた。
 この辺で多分一番古くて大きな神社の裏手から繋がる道の奥に「つつほ町」という町名が見えた。
 ひらがなで、「つつほ町」。
 聞いたことのない名前だ。
 ……そもそも、おかしい。
 こんなところに、こんな道があっただろうか。
 一応は舗装されているものの、ひび割れだらけの古びた道は、神社の鎮守の森の中を流れる小川に沿うように、奥へと続いていた。
 私は思い切って、足を踏み入れた。
 この辺は子供の頃から慣れていると思っていたのに、こんな見知らぬ町があるなんて不覚だった。
 いや、本当に「つつほ町」なる町が今でも存在しているのかは、保証の限りでないが。
 なにせ、とんでもなく古い地図だ。
 道を、抜けた……が。
「なにこれ!?」
 私は頓狂な声を上げていた。
 そこに広がっていたのは、レトロ、というのも愚かしいくらい、古色蒼然とした街並みだった。
 ネットなどで、「百年前の日本の街並み」などといって、木造家屋の立ち並ぶ白黒写真を見たことがないだろうか。
 まさにあんな感じだ。
 木造で風情のある、何かの商店らしき二階家には、大きな筆文字の看板がかかっている。
 無理やり読むと、右から左に「金物 黒鬼屋」と見えた。
 ……か、金物屋!?
 よく見ると入口らしいガラス戸に、「御刀、金棒打ちます」と張り紙がしてある。
 ……刀!!
 ……金棒!?!?
 どういうことだ。
 これはなんだ。
 私はぽかんと立ち尽くし。
 ふと、視界に動くものを認めて、そっちに顔を向け。
 ぎょっとした。
 向こうから、空中をふわふわ漂ってくるのは、握りこぶしよりも少し大きなくらいの、ぺかぺか光る「何か」だったからだ。
 ……なんだろう。
 レモンイエローの果物みたいなものが、宙に浮く水みたいなものに包まれているように見える。
 しかも、その果物に、漫画みたいなふざけた顔が描いてある!?
 その奇妙な「何か」は、都合四つくらいあった。
 それが、明らかに何事かぺちゃくちゃ話しながら、金物屋に隣接した、恐らく何かの食べ物屋だろう建物に、するりと入っていった。
 ふと、道の反対側を見た。
 人影がある。
 二つ。
 認めて、再度ぎょっとする。
 体つきからして女の人だろうその人たちは、背中に甲羅があり、頭に皿があり、とどめに、口にくちばしらしきものがあった。
 ……カッパだ。
 初めて見た。
 そのカッパの奥様風? らしき二人は、一瞬だけ私のほうにちらっと眼をくれ、軽く会釈すると、目の前の金物屋に入っていった。
 ……これはなんだ。
 ここはどこだ。
 私は、夢をみているのだろうか。
 私は、傍らに伸びあがる、ガス燈に打ち付けられた、町名プレートを見た。
「つつほ町」。
 ここが、つつほ町で間違いないだろう。
「お化けの町……」
 私の口から、我知らず正直な感想が漏れた。
「ねえ、あなた」
 不意に、ぽんと肩を叩かれた。
 はっと振り向くと、そこに十代後半と思しき女の子が立っていた。
 とってもきれいな女の子。
 今日日、珍しいことに着物……
 と思った矢先気付いた。
 見事な着物のぽんぽん菊模様に引っ張られて、視線が下を向いたからだ。
 その女の子の下半身は。
 青虹色に輝く、大蛇だった。
 愕然とする私に、その女の子は言った。
「あなた、人間ね? つつほ町は初めて? 私、濡れ女で澪(みお)っていうんだけど」
 かくして。
 私と、お化けの町「つつほ町」の付き合いが始まったのだ。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す