偏差値48からの大逆転劇

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こんにちは。英語のコーチNaotoです。

いつも英語学習についてあれこれ書いているので、たまには自分語りをしてみようということで。
日頃は中高生相手に先生をしている私ですが、学生時代は野球漬けの毎日で全然勉強なんかしていませんでした。中学生の時は赤点で放課後残されてプリントの問題が解けるまで帰れないなんてこともありました。そんな私の転機となったのは高校2年生の冬。部活中肘に痛みを覚え投げられなくなりました。整形外科で診てもらったところ、手術しないと再び投げられるようにはならないとのこと。リハビリも含めて最後の夏の大会には間に合わないと言われました。ずっと野球しかしてこなかった私にとってこれほど残酷なことはなく、茫然自失とした日々を過ごしました。チームのために、マネジャーでも代打要員でもなんでもできたかもしれませんが当時の私には綺麗事。退部はしていませんでしたが、練習にも行けず、抜け殻のような毎日でした。
時間ができてしまった私は、赤点で放課後残されるのは嫌だからとなんとなく3学期の期末テストに向けて勉強することにしました。すると結果は学年320人中28位(偏差値48の高校なのでみんなあまり勉強していなかったのだと思います)。「おや?」と思い「これは本気でやれば首席で卒業もできるんじゃないか」と思うようになりました。「甲子園出場」という立派な目標はその日から「主席になって自慢してやる」という、今思えば小さな目標に変わりました。私は退部届を持って監督さんのもとへ。無事受理いただいたとともに、「男なら他の何かで一番を取ってみろ」と激励いただきました。その日から学年でトップを取るための私の日々が始まりました。しまい込んでいた過去の定期テストを研究し、テスト前には予想問題を自分で作って解くくらいの徹底ぶりでした。そして1学期の期末テストで総合学年1位となりました。当時の担任から難関大学の受験を勧められ、今度は大学受験に向かって動き始めました。当時から英語が好きだったので英語教育に定評のある某難関大を第一志望に据え、ひたすら勉強しました。受験直前の河合塾全統模試では英語が全国で8位になるなど、野球を通じて得た「一つの目標に向かって努力できる力」を存分に発揮しました。そして迎えた2月13日。今も忘れない第1志望校の受験日です。野球ができなくなった悔しさや、監督さんからかけてもらった言葉も胸に、やり切りました。結果は「合格」。高校2年生の時は想像すらできなかった難関大学の「合格」を勝ち取ることができたのです。
ココナラの自身のプロフィールには立派なことをツラツラ書いていますが、こんな人間臭い側面もあるのだということを、私のレッスンの受講生や読者の方に知っていただけたら幸いです。決してエリートコースを歩いてきた人間ではありません。ただ、だからこそお伝えできることもあると思いますし、「勉強の仕方すらわからない」という方でもお力になれると思っています(私も昔同じ立場にいましたので)。大学入学後のイギリス留学などまだ色々なエピソードがありますがそれはまたの機会にしたいと思います。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

Naoto English Coach

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