ある日の夕方、息子たちは室内でかくれんぼをしていました。-
私は台所で夕飯の準備をしていました。
四男が私の側でじっとしていました。
三男も来ました。
「隠れてるの?母さんは最強の隠れ場所!」
と言ってテンション高め。
母の側には隠れる場所はなく、丸見えなのですが。
「母さんは最強の隠れ場所」
聞き流してしまうくらいの日常の中の言葉でした。
けれど凄い言葉でした。
姿が丸見えでも、隠れていると同じくらい安心なのでしょうね。
言葉は、感じている世界を共有する道具です。
ぽろっとこぼれる子どもの世界観のカケラは、宝物ですね。
これだけで元氣がわいてきます。
親は子に助けられています。
子を持つことは、「生かされている」ことの本質を次の世代に渡す使命を約束された状態になると感じます。
自ら負荷をかけて責任を引き受ける。
最高の環境のひとつと言えるでしょう。
そして、誰もが誰かの子です。
誰かの子であることも、意味のあることなのですね。
いろいろありますけど、ね。