子どもたちと過ごす何でもない一日。
印象に残りやすい日もあれば、目が回りそうで家事に追われる時間もあります。
夕飯前の時間、子どもたちのゲームやYouTubeを早めに消すと、幼い息子たちが庭で水遊びを始めます。何も言わずに出ていきます。私には見えています。追いかけて見届けます。
“やりたい!”と思い付いたら即行動する姿には、感動すら感じます。
この行動力は生命の源と繋がっていますね…
しかし、ふと思います。
「外に行きたい」と伝えてもらい、親に許可などをもらうルールを徹底した方がいいのでしょうか?即危険と繋がるのならそうだけれど、目が届いているのならその必要は必ずしもないのでしょうか?
その時の我が家は、家におとな一人で、更に夕飯を作っていたので人手が欲しいと感じます。
夕飯前は、子どもは遊びに、おとなは家事に“忙しい”時間です。外は車の危険がありますし、ご近所さんとの関係もあります。
息子たちには「何も言わずに外に出ていくと、あなたの事を守れなくなって心配だから、外に出たい時はお母さんに言ってね。お母さんも一緒に外に行くよ」と心配を伝えよう。
そのためにも心に余裕を作って、“今、お母さんに言っても安心な雰囲氣”が、忙しい時こそ求められますね。
夕飯が少し遅れても、子どもとお母さんの笑顔の時間を作るほうが、今の日本には必要なのでしょうね。
または、美味しい物を食べることよりも…
同じものを
例え好きな物ではなくても
「あなたと私がここにいて、同じ物を食べられる。
今何を感じていて、どんな氣持ちですか」
などと、見えない物を感じながらお話する事が求められているのでしょうね。
この事については、学びながら、実生活を通してブログにあげていくつもりです。
あなたは、今日の夕方、一日の締めくくりの時間を
ご家族やお知り合い、またはお一人の時間を
どんなお氣持ちで迎えたいですか?