“あそぼうかい”で孤独からの氣づき

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一月に一度の「あそぼうかい」。近所の公園でお友だちが主催をしている“遊び会”です。とってもありがたい環境です。今回で2回目の参加でした。


この日の私は寝不足氣味で、家で過ごしたい体調なのですが、行くと楽しいのを知っているので出掛けます。

出発が遅かったので会場は遊びの雰囲氣が出来あがっていました。息子たちも、水鉄砲でビチョ濡れになって走り回ります。行ったとたんから「帰りたい」子もいました。

私は「帰りたい」子に付き合いました。普段は四兄弟の一人の主張に付き合うのは難しい時がよくあります。

この日は他の兄弟が水遊びに夢中になっていたので一人の「帰りたい」の主張をずっと聞けました。「一人だけで帰る」選択肢もあったのですが、それは「怖い」と言うので、私はお話しを聴くのが精一杯でした。

やがて同じく「帰りたい」と言い出した弟と共に家に歩いて帰っていった長男次男でした。

私は弟達と「あそぼうかい」に残りました。



以前サークルでトラブルがあって自身の「孤独」を知ってから、人への声掛けが穏やかになりました。妙なテンションをあげなくなったというか。

子どもと話す時は素直のままいけばいいのでそんなに困りません。

おとなと話す時、ちょっと困ってしまいます。人によって距離感が全然違って氣を遣うからです。


なんとなく、一人でぼけっとしたくなりました。「人の中にいるのに孤独」の感覚が甦ってきました。でも、孤独でもいいのです。誰が何をしていても問題は無いのです。孤独を感じているのは私の勝手です。


では孤独を感じたところで、私は何をしたいのか。



この「人が集まり遊べる環境」を創る構成員として氣持ちよい人になりたい。



経験値を積み上げて自信をつけていくしか道はない。


人生生きている限り成長している。ゆっくりでもいい。確実に理想の姿になっていきたい。


子どもたちの瞳を見ていたら、日々の変化を見ていたら、理想を目指さず成長しない選択肢などなありません。



おとなだって元は子ども。純粋な自分をもっともっと取り戻して、おとなとも純粋な部分で話せる人にもっともっとなりたい。



自分の中の「孤独」を見つけてから、自分を愛することを許し、愛すと決めた。



変わるのは自分。



行動したら見えてきた景色が、今日もあった。
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