「もったいない」は誰が決めている?

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今回は私事であるが、前職を退職したときのことについて話したい。

私が退職の申し出をした後、そのことを聞いた何人かの人から「もったいない」という言葉をかけられた。このとき、私はこの「もったいない」という言葉になんとも言えない違和感を感じた。

この「もったいない」は一体、何について「もったいない」と思っているのだろうか?疑問を感じた私は、自分なりにこの「もったいない」の意味について考えてみた。

おそらくこの場合の「もったいない」は、給与面や待遇面などに注目しているイメージがある。また、そもそもこの「もったいない」という思いは、誰が思っていることなのだろうか?

それはあくまで、「もったいない」という言葉をかけてきた本人たちの思いであり、主観にすぎない。言い換えれば、その人たちにとって「もったいない」ことであり、私にとっては「もったいない」ことではないのである。

なぜなら、そのときの私は人生という限られた貴重な時間を、自分にとってどうしても合わない価値観や考え方にもとづく仕事をすることに費やすことの方が、よっぽど「もったいない」と感じていたからである。

退職という決断は、私のなかで何年にもわたる葛藤や迷い、苦しみを経たうえで出したものだ。なので、退職の申し出をした時点で、彼らとは異なる「もったいない」が、私のなかにすでにあったのである。

結局のところ、何を「もったいない」とするかを決めているのは、自分自身なのだということに気づいたのである。

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