天命占い師、藤久国の不思議な話

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今日は、天命占いの藤久国です。
私が二人いると,あり得ない思いを抱きだしたきっかけに、両親が亡くなった時の出来事が、関係しています。
私の両親が亡くなったのは、父親も母親も共に40代でしたので、私が10代のころでした。両親共にとても仲良く、父親が先に亡くなったのですが、後を追うように、その後すぐに母親も亡くなりました。

私の父親は、独学で日本刀の世界に入り、刀工の中の、刀鍛冶、装剣金綱師、
以外の、研師、白銀師、鞘師、塗師、柄巻師の5種類を一人でこなし日本中から注文がさっとうする腕前でした。

通常、研師ひとつだけでも分業があり、更にそれが一人前になるまで一生かかると言われる世界の中で趣味から始め、全て一人でこなし、今でいう個人事業主になり、親子4人を養いながら、日本中から来る病の日本刀を直し、後生に残る仕事をしていた父に私はとても尊敬していました。

しかし何でもかんでも自分一人でやらなければ気が済まない面があり、いわゆるとても気が短く、何か問題があると瞬間湯沸かし器のように、烈火のごとく怒りだし、手を上げる事など、日常茶飯事でしたので、家庭と言うのはこんなもんかと当たり前のように毎日を暮らしていました。

そして母親はそんな父と正反対のとても穏やかで、愛情があふれ、道徳的な面が強い人のように感じていました。実際、母が亡くなった葬儀の時も、商売をしていた父の葬儀の時よりも、多くの方が来ていただいた時には、とても驚きました。

さて前置きが長くなりましたが、不思議な話と言うのは、父親が病に倒れ、手術のために大学病院に入院し、大手術の末、なんとか一命はとりとめて、退院し一年間自宅療養をしたのですが、今思えば、この時が父親と一番話ができた時だったなと思い、とても良い思い出に、なっています。

そして、そんな毎日を暮らす中、突然脳梗塞で再入院する事になり、また入院生活が始まることになりました。

そして毎日仕事帰りに病院に行き、そのまま朝まで看病して、そこから仕事へ、行く生活が3ヶ月ほど続いているなか、病状も日に日に悪くなり始めた頃、いつも通り病院で朝まで看病して仮眠を取ってから仕事に向かおうとした時、時計をみると、すでに仕事が始まっている時間だったので、慌てて、仕事先に連絡を入れて、遅刻する旨を話したところ、

受付の方が不思議そうに、藤さんは、本日有給休暇が出されていますよと言われ、こちらもあっけにとられ、私はもちろん提出していなかったので、誰が有休届けを出したのか訪ねましたが、その時受け付けた担当の人が、その時は、お休みのようで、確認が取れませんでした。

その日は特別な約束などは無かった事もあり、また時間もかなり遅くなってしまっていたため、そのまま有給休暇を取ることにして、病室に戻りまた看病を続けることにしました。

すると間もなく、父親の病状が悪化し、家族や親戚に連絡する間も無く、私が見守る中、父は亡くなりました。

そして、この亡くなる数秒前、周りの音が全く聞こえ無くなり、脳梗塞で意識が無く、言葉などしゃべれる状態ではなかった父が、一瞬笑顔でありがとうと言いながら生きを引き取りました。そしてその後私も、泣くでも泣く、ただありがとうという思いがわき出てきて、何度も何度もありがとうと、父に話しかけていた事を覚えています。

これがいつも通り、仕事に行っていたら、父の最後には立ち会えなかったと思い、誰だかわかりませんが、私の有給休暇を出してくれた方に感謝しました。

そんなこんなで、葬儀の準備や、遺品の整理などで、一週間仕事を休み、休み明けに、職場に行ってみると、その当日私が有給届けを出したときに受け付けてくれたという担当者の方が退職されていて、もうそこにはおらず、どこに行ったのかもわからずじまいでした。

そもそも、有給休暇を私が出しに来たと言われている日は、朝から取引先に直行し帰りは、病院に直帰していましたので、どう考えても私が仕事先に有給休暇届けを提出する事は不可能でしたでしたので不思議でなりません。

その後その有給休暇届けを提出した担当者を探しましたが、現在に至るまで行方不明です。そして母親が亡くなったのは、父が亡くなってから、一周忌が過ぎて,間も無く追うように、あの世に旅立たれました。

母も病にたおれ、救急車で病院に運ばれそのまま入院となりました。母は、若い頃から体が弱く、20代に大病により手術をして一命を取りとめている経験があり、今回も手術という事になるのではと思っていましたが、想像以上に容体が、悪化していて、手術もできないとの事でした。

そんな中、父と同様に、仕事帰りに病院に寄り、朝まで看病して、そこから仕事に向かうという生活になり、毎日を過ごしていました。

ある日、いつものように、ナースセンターに行き、今夜の付き添い看病の届を提出し、毛布の予約をして、病室に戻り、看病していましたが、いつもなら看護婦さんが、予約をした毛布をもって来てくれていたのですが、

その日は、いつまでたっても、来てくれなかったので、こちらあから取りに行きナースセンターの受付の方に尋ねると、先ほど藤さんが来られて、今日の付き添いも、毛布のレンタルもキャンセルされると言われて来たじゃないですかと、不思議そうな顔をしていわれ、

その瞬間。父が亡くなった時と同じだと感じ、すぐさま病室に戻ると、母は、私を待ってくれていたかのように、安心したかのような表情を見せて、その場であの世に旅立たれていきました。

その時私は今までの母への感謝が湧き出てくると同時に、正直また父の時と同じことが起きたことが不思議で不思議でしょうがありませんでした。

これは、母が私は今日なくなるのだから、泊まり込みをしなくていいんだから毛布もいらないよと言ってるようで、そして亡くなるときのタイミングを教えてくれていたんじゃないかと思いました。

おかげさまで、父親が亡くなるときも、母親が亡くなるときも、しっかり見送る事が出来ました。

そしてその日のうちに、自宅に戻り、みんなで一緒に布団を並べて寝る事が出来ました。

その後葬儀などが終わり、いろいろな手続きの為病院を訪れた時、やはり気になっていたので、ナースセンターに行き、その日の事を聞こうとしたのですが、やはり父の時と同じように、その当日受付してくれた、看護婦さんが退職されていて、連絡が取れず、今も行方不明との事でした。

父親の時も母親の時もそうですが、何か節目の時に、もう一人の自分が現れ、現実に行動しているというのは、今回が初めてではなく、やはり大事な節目節目で、現れて来ているのは事実です。

これはどうしてなのか自分にも人に話してもまったくわかりませんが、いつも結果オーライなので、いいのかなとおもっています。そしてもう一人の自分に感謝しています。
ちなみに私は双子座です。笑



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