作家はタイトルに自己満足してはいけない

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小説には当然ながら書き方があります。でもそれは将棋の定跡のように厳密には決まっておらず、基本的にはどんな書き方でもいいと思うのですが、100パーセント駄作に終わる書き方が存在します。それはタイトルに自己満足して何のプロットも立てずにいきなり書き始めることです。ノベルバに「真夏のエルニーニョ」という小説がありますが、典型的な見本です。はたしてみなさんはこのタイトルを見てどんなイメージが浮かびますか?私には具体的なイメージが湧きません。この小説の主人公は女子高生です。6月に退学し、しかもその理由がですね、ぼっちで友達ができないからだと。それをただ独白するだけで第一話が終わります。どうですか?みなさんはこのタイトルとこの女の子に何かしらの関連性を感じるでしょうか?残念ながら私はまるで関連性を感じないのです。この子は別にエルニーニョでうつになったり、熱中症で倒れて入院したわけではありません。具体的な話がまるで出てこないのです。この子はただ60年前の6月の気温が平均で17度。今年の6月の最高気温は34度だから倍で暑いと。こう言っているだけなのです。この作家が書くべきは60年前の気温じゃなくてこの子を何で6月に出すのか?という必然性です。しかもこの小説のジャンルが現代ドラマ。私はファンタジーしか書かないので現代ドラマが何なのかよくわからないのですが、この時点で色々おかしいと感じます。タグから判断する限りではこの作家はみずみずしい恋愛ドラマを書く意図が見えるのですが、タイトルを見直すか、プロットを立てるかしないとこの小説はかなり難しくなるでしょう。私ならば真夏の後に違う言葉を入れてオカルトかホラーかミステリーにするでしょう。6月を舞台にすると当然ながら女の子は汗臭くなってしまいます。なのでいかに汗臭い女の子をストレートに書かないかというテクニックがいるわけです。ですがこの作家はそこまで考えておりません。この作家は女性名ですが10代の男の子だと思います。毎日汗だくになって書いておれば、おのずと気づくはずなんですがね。私も緻密にプロットを練りはしませんが、タイトルに自己満足していきなり書き始めたりはしません。作家はタイトルに自己満足してはいけません。100パーセント駄作を書くだけで終わります。将棋でいうところの大悪手です。ゲームの名作は雑談から生まれるといいますが、それは彼らに豊富な経験値があるからです。まずは作家自身がのめり込むような作品世界を書くことです。でないと読者はつきません。
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