昭和の末期に起きたある蒸発事件を考察する

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私が子どもの頃に読んだ本の中にとても興味深い事件がありました。おそらく昭和の末期でしょう。日時も場所も忘れましたが、日本のどこかで起きた事件です。いや事件性はないので事件というと語弊があるのですが、便宜上、事件と呼ばせてもらいます。ある家に3人の独身の中年女性が住んでいました。40代くらいでしょうか?たぶん姉妹でしょう。この3人は「早く楽になりたい」といつもこぼしていました。この人たちがどうして心を病んでしまったのかは語られていないので永遠の謎です。そして1人、また1人と失踪していき、心配した身内の人が家を訪ねると仏間には線香が上がっていて3人分の空の骨つぼが置いてあったそうです。家には誰もいませんでした。果たして3人はどこに消えたのでしょうか?当時は蒸発という言葉がよく使われていました。当時小学生だった私は3人は同じ場所で亡くなっており、身内の人に葬儀をあげてほしくて3人は亡くなってから家に帰って長女が線香を上げた。そう考察したのを覚えています。しかし最近、この事件を思い返してみると少し違和感を覚えました。亡くなった3人が家に帰っている可能性は充分にありますが、亡くなった自覚が仮にあったとして自分のために線香を上げるのはおかしいのではないか?3人に亡くなった自覚がなければ、なおさらありえないことです。この話を読んで一番違和感を覚えたのは著者がこの人たちは生きていると断言していたことです。確かに3人が亡くなったという事実は確認されておらずたぶん今だに行方不明のままでしょう。それでも私は最後に家を出た人以外は亡くなっていると思います。たぶん最後に家を出た人が線香を上げたのでしょう。この人は2人が亡くなったことを確信して線香を上げたはずです。この人は2人が同じ場所で亡くなっているのを見て怖くなって引き返したのか、それとも亡くなった2人がこの女性の夢まくらに立ったのかはわかりません。当時はアナログ時代でケータイもスマホもポケベルもない時代です。2人が公衆電話で家にかけた可能性もあります。おそらくこの3人は生前に来た同じ場所で亡くなっているのでしょう。最後に家を出た人は急用ができた可能性もゼロではありませんが、2人に引っ張られて2人が亡くなった場所に向かったのだと思います。そしてこの3人を心配して様子を見に来た身内の人と行き違いになったとみるのが妥当です。最後に家を出た人が急用で家を留守にしたのであれば、今でも存命かもしれませんが、3人は以前からこの場所で死のうとあらかじめ決めていたのだと思います。以上が私の考察です。昭和の末期に日本のどこかで起きた謎の蒸発事件ですが、この事件に事件性は全くないと思います。

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