【ショートショート】「子豚たちの努力」

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二足歩行の子豚たちは鉄格子に囲われた空間の中で生きている。空間の内側には同じ大きさの部屋が碁盤の目のように並んでおり、全ての部屋の壁は氷でできている。天井はないが、常に頭上に酒の靄が覆っており、空は見えない。

部屋と部屋の間は細い廊下によって隔てられている。そこを、胸を張り、大股で、マントをはためかせながら、ヒーロー的な子豚が歩いている。他の子豚たちはほぼ全員、最も注目すべき子豚の出番が回って来たとあって、廊下でひしめき合いながら興奮で鼻を鳴らしている。

ヒーロー的な子豚は、期待、羨望、嫉妬が混じった眼差しの中を、焦れったい速度で歩いた。それは他の子豚たちの高揚感を高め、自身にプレッシャーをかけるためだった。

(緊張を楽しめ)と、ヒーロー的な子豚は自分に命じ続けながら、鉄格子に囲われた空間の端にある、まな板のステージに乗った。

正面に向き直るが、他の子豚たちの姿は見えない。視界が酒の靄の中に入ったからだ。

ヒーロー的な子豚は、自身の成功を確信した。もはや、研ぎ澄まされた集中力によって、先程まで頭の中で繰り返していた合い言葉も聞こえない。なんだか脳が痺れてきた。

ヒーロー的な子豚は白い歯で彫刻のような顔を輝かせながら、胸元に「S」と書かれたコスチュームやマントを脱ぐと、用意していたダマスカス鋼の刀剣で、自分の体を部位ごとに解体し始めた。

「1000いいね!」

「1200いいね!」

他の子豚たちが各々の提供できる酒の量を叫び、一番多い量を言った子豚に、ヒーロー的な子豚が自身の肉を投げ渡した。受け取った子豚は、約束した量の酒を感謝の言葉と共に吐き出して、ヒーロー的な子豚にかけた。

骨だけになったヒーロー的な子豚は、大量の酒と喝采に両手を上げて応えた。再生し始めた顔面の肉が満面の笑みを形作っていった。

次の出番だった怠け者的な子豚がまな板のステージに乗った時には、既に大多数の子豚が各々の部屋に帰り始めていた。怠け者的な子豚は体が小さく、視界が酒の靄に遮られることもなかったので、離れてゆく背中たちがはっきりと見えていた。

怠け者的な子豚は、この時間が一刻も早く終わるように願いながら、そこが脱衣所であるかのような調子で継ぎ接ぎだらけの服を脱ぎ始めた。

前から視線を感じる。怠け者的な子豚はどうせ誰かが嘲笑しているのだろうと無視していたが、やがて耐えきれなくなって顔を上げた。

すると、一人だけ観客がいた。それはヒーロー的な子豚だった。腕組みして、いつもの微笑を浮かべながら真っ直ぐこちらを見ているのだ。

怠け者的な子豚は寒気を覚えた。そして一層手の動きを速め、服を脱ぎ自身の蹄で体を切り裂いた。途中、「焦らないで、もっとゆっくりやるんだ」とアドバイスされたが、聞き入れなかった。

足元に服と全ての肉が散乱すると、怠け者的な子豚はそれを抱え、逃げるようにまな板のステージから下りようとした。しかしヒーロー的な子豚が立ち塞がった。その口は怠け者的な子豚を呑み込めるほど大きく開いていた。

「300いいね。」

ヒーロー的な子豚が言った。そして怠け者的な子豚が返事をする前に、言った量の酒を吐きかけた。

怠け者的な子豚は、痩せた肉を全て渡した。もらった酒の量は十分すぎるくらいだったが、ヒーロー的な子豚は「余った分はあげるよ」と言った。

「どうも…。」

怠け者的な子豚は咳のような声で礼を言った。そして逃げるようにヒーロー的な子豚の元を去った。

怠け者的な子豚が自分の部屋の前に立つと、氷の壁には自身の姿が映った。反射した自分に向かって手を伸ばすと、相手も同じようにこちらに手を伸ばし、氷の壁を隔てて触れ合った。途端にガチャリと音がして、ドアが開錠した。

一息ついたが、しばらく動悸は収まらなかった。怠け者的な子豚は心音が本来の小ささになるのを待った。

しかし元通りになる前に、怠け者的な子豚は再び寒気を覚えた。氷の壁の向こうから、ヒーロー的な子豚の声が聞こえたからだ。

ヒーロー的な子豚は、明らかにこちらに近付いて来ている。それも特に苦手な勝利者的な子豚と一緒に。

怠け者的な子豚の部屋の前まで来ると、勝利者的な子豚は数少ない友人を説得しようとした。

「だから何の得があるんだよ。クズに手を貸してやったって見返りがあるわけじゃない。大体、同じ空気を吸うだけでも、俺たちの肉の質が落ちるだろ。」

ヒーロー的な子豚は、少々言葉のキツいところがある、虎の毛皮を羽織り、ライオンのたてがみを首に巻いた友人を睨んだ。

「僕たちのような頑張る機会を与えられた人間じゃないと、教えてあげられない。きっと彼は自分の不幸さを自覚さえしていないよ。」

そう言われた勝利者的な子豚は、「にでもなったつもりか」と捨て台詞を吐いて、不機嫌を撒き散らしながら自分の部屋に帰って行った。

ヒーロー的な子豚はその背中に向かって溜息を吐くと、氷の壁越しに、怠け者的な子豚に話しかけた。

「これまで辛かったね。誰からも評価されずにいたんだから。でもきっと君のせいじゃないよ。」

返事はない。しかし氷の壁に映るヒーロー的な子豚は、悲痛な面持ちをしている。相手に共感することでこの表情になっているなら、相手も同じ表情をしているに違いない。助けなくては。

周囲には、他の子豚たちが集まっている。ヒーロー的な子豚は、努力の大切さや努力の仕方について、氷の壁を叩きながら大声で説いた。 

「君は努力の素晴らしさを知らないだけだ。僕も君も、努力、自信、評価の3つを循環させながら生きている。いいかい?努力、評価、自信じゃなくて、努力、自信、評価の順番だ。努力するから自信がつく。自信がつくと良いパフォーマンスができるから、評価される。評価されると、その喜びによってまた努力できる。こうゆう循環だ。

だけど今の君は、この循環が悪くなっている。正しい努力ができていないから、自信がつかない。自信がつかないから、良いパフォーマンスができない。良いパフォーマンスができないから、評価されない。その喜びがないから、努力できない。こうゆう状態だ。

この悪循環を断ち切るためには、正しい努力をするしかないんだ。自信と評価は努力によってしか得られないからね。正しい努力さえすれば、君は苦痛から開放されるよ。

確かに、僕たちのようにはなれないかもしれないけど、僕と君では満足できる酒の量が違うんだ。だから安心して前を向いたらいい。

正しい努力の具体的な方法としては、上手い子豚のやり方を真似することから始めればいい。筋骨隆々な子豚はどのようなフォームでダンベルを持ち上げているのか、美しい子豚はどのようにアイシャドウを塗っているのか、そうゆうことを見て、自分もやってみるんだ。それを繰り返していく内に、自分に合ったトレーニング方法やメイクが見つけれるはずだ。」

何度も拳を振り下ろす内に、氷の壁は放射状に割れ、怠け者的な子豚の部屋の全容が明らかになった。それと同時に、ヒーロー的な子豚は言葉を詰まらせた。

部屋には、蹲って震えている怠け者的な子豚と、床に置いてある一本のリップクリーム以外は何もなかった。フォームを真似るためのダンベルや、メイクの参考にするためのアイシャドウは見当たらなかった。

途端に他の子豚たちの視線が鋭く尖って、胸の奥に突き刺さったように感じた。このままでは、エンジンに永久に閉じない穴が開いて、どれほど酒を注がれても漏れ続けてしまう。

雄弁を振るっていた手前、謝ることはできない。ヒーロー的な子豚は口角が下がらないように努めながら続けた。

「なるほど。僕は君が羨ましいよ。逆境を乗り越えることこそ、努力の醍醐味だからね。

実は、筋トレ用の器具を使わない自重トレーニングっていうものがあるんだ。あとナチュラルメイクが流行っていてね。具体的には……おっと、これ以上のアドバイスは止そう。僕は君をライバルとして認めることにしたからね。これでは敵に塩を送ることになってしまう。

あと、酒が足りないというなら、に頼んでもらえばいい。借りた分増やして返さなきゃならいからって、ビビる必要はないよ。努力で取り替えせばいいんだから。努力は全てを解決するんだから。

それじゃあ僕はもう行くよ。いずれまた高みで会おう!」

ヒーロー的な子豚は、マントを翻してその場を後にした。他の子豚たちは、胸を躍らせたり撫で下ろしたりしながら、各々の部屋に戻った。

怠け者的な子豚が望んだ通り、氷の壁は直ぐに再生した。その後、一応「自重トレーニング」というものを試してみたが、いつものように手足が自分の意図とは違う動きをするので、上手くできなかった。

怠け者的な子豚は、に酒を貸してくれるように頼んでみたが、いくら酒の靄の向こうに声を飛ばしても、酒の靄が僅かに揺れるだけだった。

「ごめんね。」

そう言ったのは、怠け者的な子豚の親であるリップクリームだった。怠け者的な子豚は聞こえていないふりをして、しばらくの間また不器用に体を動かしていたが、やがてエンジン内の酒が切れて、動けなくなった。

一方、ヒーロー的な子豚勝利者的な子豚は、彼らが信仰している努力を当たり前に続けていた。

「で、あいつはどうだった?」

勝利者的な子豚はランニングマシーンで走りながら尋ねた。体中にセンサーが取り付けられており、傍らには脈拍や呼吸のリズムを表示するモニターが設置されていた。それらは全て勝利者的な子豚の親だった。

「そうだな……」唇にヒアルロンを注射していたヒーロー的な子豚が動きを止めた。そして少し考えた後に答えた。

「色々教えたけど、厳しいかな。なにせ本人のやる気が感じられなかったから。」

「そりゃそうだ。元々やる気があったら、もっとマシな状態になってるはずだからな。」

「ああいうやつは、幸せになりたくないのかな?」

「そうゆうやつもいるさ。別に気の合わないやつらと関わる必要はない。少なくとも、俺にはお前がいて、お前には俺がいる。それでいいんだよ。

俺たちは全身全霊をかけて互いより優位に立とうとする。だから敵同士だけど、同じ目標に向かう仲間でもある。

それがスポーツマンシップというものだ。そうだろう?」

「まあね……。」

ヒーロー的な子豚は、漫然と相槌を打ちながら鏡を見た。するとそこには、光の加減でやけに凹凸がはっきりとした自分の顔面が映っていた。

膨らんだ涙袋、浮いた頬骨、高い鼻、厚い唇、尖った鼻……。

ヒーロー的な子豚は、震える手でその1つ1つに触れた。顔には触れている感覚がある。間違いなく自分の顔だ。

顔面のパーツは、どれか1つが大きくされると、バランスを取るために他のパーツも大きくされていた。

ヒーロー的な子豚は、バランスを整えた後も、(あと少し鼻が高ければ)と自らバランスを崩してしまうので、整形手術には際限がなかった。

(化け物じゃないか。)

思わず悲鳴を上げそうになったが、ヒーロー的な子豚は耐えた。ライバルに弱点を教えることになるからだ。

氷の壁には、歪んだ顔が映っている。その向こうでは、走り続ける友人の影がある。

胃がムカムカする。ヒーロー的な子豚は、密かに酒を床に嘔吐した。

その日も、勝利者的な子豚は自信満々な顔を酒の靄に入れながら、まな板のステージ上に立った。

勝利者的な子豚が虎の毛皮とライオンのたてがみを他の子豚たちに向かって投げ、チェーンソーで荒々しく自分を解体し始める。すると少しして、鉄格子に囲まれた空間の中は興奮で満たされて、歓声で満たされた。

その理由は勝利者的な子豚のパフォーマンスだけではなかった。酒の靄から、くちばしがラッパの数羽の鳥が現れて、鉄格子に囲われた空間の中を飛び回りながら、高らかなラッパの音色を響かせたのだ。

子豚たちは、片膝をついて祈りながら、勝利者的な子豚の頭が浸かっている酒の靄を見上げた。その目には涙が浮んでいた。

くちばしがラッパの鳥たちの登場は、が降臨する前触れだった。そしてが鉄格子に囲われた空間に干渉するのは、大体が酒を貸し付けるときか回収するときだが、まれに自ら肉を買うために下りてくることもあった。

ほとんどの子豚たちは、勝利者的な子豚に選ばれたのだと確信した。ヒーロー的な子豚は密かに唇を噛みつつ、安堵していた。一方、怠け者的な子豚は、(あんな肉が食べられたらなあ。)とだけ思っていた。

勝利者的な子豚の目の前に、の舌である巨大なUFOキャッチャーのアームが下りて来る。勝利者的な子豚が、見事な霜降り肉を差し出す。酒の靄で隠れている顔は涙でずぶ濡れだ。

しかし、巨大なUFOキャッチャーのアームは、肉を受け取らずに、代わりにあるものを置いていった。
完璧な豚.jpg

それは完璧な豚だった。

全裸ですっぴんであるのにも関わらず、地平線に沈む寸前の夕日のような輝きを細胞の1つ1つから放っていた。

むしろあらゆる衣装やメイクやトレーニングは、その美しさの障害に他ならなかった。

全ての子豚たちは期待、羨望、嫉妬をする間もなく立ち尽くし、そのことを自覚さえしなかった。

が鉄格子に囲われた空間に置いていった完璧な豚は、その後、自分の肉を子豚たちに配った。その際、酒は受け取らず、しかし体はすぐに再生するので、子豚たちにとって無限の食料になった。

完璧な豚と比較されるのを恐れて、誰もまな板のステージに上がらなくなった。

食べ物には困らなくなったが、エンジンの中にある酒は減り続けた。子豚たちは誰かから酒をもらおうと廊下で自分の肉を売ろうとしたが、完璧な豚の味を知ってしまった後で買う者はほとんどいなかった。

ヒーロー的な子豚は、自分の部屋の中でのたうち回った。強烈な酒への渇望感に苛まれていた。

(助けてくれ)とヒーロー的な子豚は酒の靄に向かって念じた。しかしからの応答はなかった。

こうなったら、誰かに助けてもらうしかない。ヒーロー的な子豚は氷の壁を見た。

そこには崩れた自分の顔が映っていたが、ヒーロー的な子豚の焦点はその向こうにいる誰かに定まっていた。

「助けてくれ!」

ヒーロー的な子豚は、そう叫びながら部屋の内側から氷の壁を割った。

すると連鎖的に、鉄格子に囲われた空間を区分けしていた氷の壁が割れ、床に溶け出した。

その水を、ヒーロー的な子豚も、怠け者的な子豚も、勝利者的な子豚も飲んだ。

体の中に、真っ直ぐの線が描かれてゆく。同時に子豚たちの目は醒まされていった。

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