あなたの目の前に
ある人、がいるとします。
その人とは
なかなか会話が成り立ちません
あなたは現状を打破するために
あらゆる提案をしてみますが、
その人は、すべてが「いや」で、
すべてを「ちがう」と否定します
あなたの体調や状況に関係なく、
夜、何度もあなたを起こします
優しく言葉をかけても抱きしめても、
何時間も泣き叫ぶときがあります
「さぁ、それではこれから、
365日のこの人と一緒に暮らしてください」
もしそう言われたとしたら、
あなたはなんと答えますか?
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「家族は仲良くあるべき」
「家族なら我慢しなきゃいけない」
「家族ならどんなことも受け入れなきゃいけない」
どうしてでしょうか?
血が繋がっていようとも、
自分の体内から出てこようとも、
私たちは別の人間です。
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もし、私が冒頭の問いに
与えられた情報だけで答えるとしたら
「え、、なにそれつらくない?…イヤかな」です。
でも、冒頭の例は、子育ての現実(一部分やけどね)です。
「あ、私はつらいと感じることをやっているんだな」
「あ、私は本当はこの状況がイヤなんだな」
それらを “ 思っていいんだと自覚して ” やっと
少し楽に、そして結果的には、
冷静に対応できるようになりました。
( つまり私には、
どんなにつらくても相手が子ども(や家族)の場合は
つらいと言ってはいけない・我慢しないといけない、
という思い込みがあり、
それがより一層、自分を追い込んでいたんですね
子育てがイヤ、というよりは、
それが苦しかったんですね )
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家族に限らず、
関係性が良好なことは好ましいことです^^
でも、
”家族なんだから好きで当然・味方で当たり前 ”
という価値観を一般的とされることで苦しむ人もいます。
家族だからって全部を受け止めなくていいし
家族だけど苦手な人っているし
家族でもイヤなもんはイヤだし
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たしかに、家族って
特殊な人間関係ではありますよね。
家族じゃない相手とは、
その人と一緒に居るかどうかを
私たちは“好き”か”嫌い”かで選びます。
シンプルです^^
一方、血縁や出生は変えられません。
それらは、私たちが(意識上では)選ぶ項目ではないのに、
私たちは自分の担当でない部分でグルグルグルグル、
負のループから抜け出せなくなっていきます
別の家に産まれていたら…
親がこんなじゃなければ…
兄弟がこんなじゃなければ…
でも、"それら変えられないことへの評価"で苦しむのは、
あまり意味がないのかもしれません
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実家と縁が切れて10年近く経ちます。
親・兄弟・親戚、彼らは今でも
私にとって「特別な人たち」です。
でも一緒に居るとしんどい、ただそれだけ。
「ん~、特別だよ。でも、一緒には居たくないんだ。」
そんな価値観・距離感があってもいいと私は思います。
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関係性としては特別だけれども、
それ以上でもそれ以下でもない。
"自分では変えることができない繋がり"がそこにあるだけ。
その事実に無理に評価(善悪/優劣)をつける必要もない。
特別なものは特別なままに、
そのうえで、自分なりの心地好さを
追い求めてもよいのではないでしょうか🍀