「この人嫌い」の中にある本音と行き着く先。

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コラム
「嫌いな人はいない」と言いきれる人と
滅多にお目にかかることがないくらい
人にはどうしても「好き嫌い」がある。

「好き」は簡単。
広い意味で自分にとってマイナスよりプラスが多い人だから。
一緒にいると楽しい・幸せ・得になる・満たされる
なんにせよ「一緒にいたい人」であることが条件。

でも「嫌い」は違う。
大きく分けて二通りの感情がある。
マジで生理的に無理!!といった
プラスよりマイナスが多い人に対する感情と
もう一つ
本当は好きなのに
気持ちが伝わらないがために起きる反発した感情だ。

私が今日まで生きてきて、嫌いな人は数人いた。
ちょっと曖昧だけど
今はすでに、その感情すらなくなっている人もいて
「嫌い」の行き着く先は「無関心」なのだと改めて痛感している。
もう、何の感情も湧かない。
誰かがその話を振ってきても、興味も湧かないのでマジスルー。
正直、その人たちが困っていても
私には関係ないと割り切れてしまうほど、どうでもいい。
ただそこに至るまでは、必死に関わってきた。
それだけは嘘じゃない。

でもその中に、名前を耳にするだけで「心がザワつく人」がいる。
それこそがきっと
「本当は好きな人」なんだろうと分かるようになった。

ちょっとね、母と揉めまして
2週間ほどプチ家出をされました。
冗談じゃないくらいワガママが過ぎるので
「そうしたかったら、自分で生活してやって」と。
追い出したという方が正しいかもしれない。
現在は帰宅し、同居する条件を叩き込んだので在宅している。

ここだけ書くと、私が鬼に聞こえるだろうと思う。
私の叔父叔母や世間の方は、必ず言う。
「お母さんを大事にしてあげて」と。
「実のお母さんがいて楽でしょう」と。
でも私のイトコ達は分かってくれる。
私のイトコ達は誰一人親と同居していない。
口を出すなら手も出せよ、が私の考えであり
実際その昔、私の祖父の件で
口を出した私は祖父も引き取った経験がある。
イトコ達は分かってくれるが
叔父叔母は忘れてしまったらしい・・加齢って言い訳にもなるんだな。
ま、余談でしたw

無下に扱われた相手に対して
「この人嫌い」という感情は起きる。
でもその中にある本音と向合うことを避ける人が多い。
それはダメなのよ・・苦しくなるの。
普段の生活が脅かされるくらい頭の中が侵食されるの。
そこから何が起きるかは、だいたい想像できるはず。
生き地獄の始まりです。

人生100年時代だなんて言われるようになったけど
その数年・数十年を苦痛で過ごす・・アホくさくない?
実際、アホなのよ!!!!!!!

生まれ変わりだの黄泉がえりだの
おとぎ話に付き合ってられるのは若いうちだけ。
現実を受け入れながら夢を見るのは悪くはないけど
それで傷つくな!って話。
その覚悟の上の、その傷も受け入れろって話だ。

「嫌いな人」を、もう一度見直してみて。
本当に嫌いなの?
ただ単に、思いが伝わらないことへの八つ当たりじゃない?
もう一度、見直してみて欲しい。
その間違えが、今後の自分を左右することがあるかもしれない。
排除していい人と、そうじゃない人
見極めないと、損をする。
本当は好きな人を永遠に失うかもしれないし
いらない人を永遠に抱え込む地獄の始まりかもしれない。

本当に嫌いだと思う人は「無関心」になる。
このブログを読んでくれた方には、これを指標にして頂きたい。
間違えないで下さいね「この人嫌い」の感情を。

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