本当の自分を受け入れる潔さ。

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コラム
自分の本当の性格や性質を理解している人は
そうはいないと言われている。
周りから忖度なく言ってもらえる環境が
あるかどうかも大きく影響しているのは確かだが
本人にその事実を受け止めるだけの
許容量があるかどうかもまた問題となってくる。

自分を良く見せたい
自分を悪く見たくない
こういった感情はあって当然。
でも
自分で自分を網羅した人間は
誰から見ても強く清々しい
つい信頼を置きたくなるオーラを放っている。

自分を知るということは
思った以上に辛く、ダメージを伴う。
実は誰もがみんな知っている
「自分ってこういうところがダメなんだ」という事実。
だが、つい目を背けてしまう。
他人に関しては即座に改善を求めるくせに
自分への改善命令はなかなか下せない。
そこには
プライドだったり
恐怖心だったり
羞恥心だったり
諸々の感情が歯止めをかけてしまうからだ。
客観的に自分を見ることは
簡単なようで一番難しいことなのかもしれない。

本当の自分をひた隠し
偽った自分で取り繕ったものは
周りから見れば滑稽で
正直、みっともない。
例えば
誰もが知っているその人の口の軽さ。
でも平気で言ってのける
「口は堅い方だから」と。
そしてさらに信用度を貶める結果になることを
本人は無自覚で行ってしまう。
周りは遠い所で
「よく言えるよ」と半分小バカにしていることを
本人だけが知らない状態。
それが自分だったら、切なすぎる。

自分の持っている長所も短所も
素直に受け止められる潔さを持ちたい。
ついでにいえば
短所を改善、もしくは短所に合わせ
人様に迷惑をかけない範囲の生き方を模索する。
それが最終的に
「自立」を促す武器になるのだ。

本当の自分を分類すると
割といい人だった。
この「割と」の中に
含まれなかった部分に焦点を当ててみると
分かりやすいかもしれない。
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