枕元にあるはずの目薬を寝ぼけながら探す私。
あー…ねぇな…ベッドの下か?そう思い至り、しぶしぶ起き上がる。
ぶーらぶーら
探していた目薬が髪の毛に引っかかって目の前で揺れている。
今日も憑いてるKousakaですこんにちは。
レザーシートと彼女のフレグランスが融合し、車内にたちこめる。
ひんやりした革の質感、乾いた甘い香り。
“ なんか都会的だな ” って。
私は少し可笑しくなった。
膝に置かれた大きなDIORのバッグが、小柄な彼女をさらに華奢に見せているようだ。Audiの内装をひとしきり眺めた彼女は私の方に顔を向け、何か言いかけた。
“なに?”
“ううん、なんでもない”
お互い声には出さず、そんな会話をした。
間を埋めるだけの会話に意味はない。空白の時間を恐れるのは経験の浅い男だけなのだ。
「どこ行くんですか?」
・・・。
「近いですか?」
・・・。
少し間を置き「近いよ」と淡泊に答える。
客とはいえ、たった二度会っただけの男の車に乗り込んだ彼女。無口な私を見て不安になったのだろう。
可愛さと美しさを併せ持つ女性は稀だ。沢山の男たちにチヤホヤされてきたであろうことは容易に想像がつく。彼女を助手席に乗せてきた男達の挙動も手に取るようにわかる。だからこそ、彼らの逆をいくのだ。
紺色のイタリアウール生地、ピンストライプのオーダースーツ。光沢のストライプ・ピンポールシャツ。エルメスで揃えたゴールドのラペルピンとカフスボタン。
Audiのスポット照明に照らされた鮮やかな赤のクロコバンドとゴールドケース。黒い文字盤が引き立てる9石のダイヤ入り腕時計。
彼女はきっと派手好きだろうと踏んでこれらを選んだ。アッチングアプリで出会うような一般的な女性には刺激が強すぎるだろう。
ステータス演出はマウントを取る上で欠かせない手法だ。主導権は全てこちら側だと示した上で選択肢を与える。そうして初めて「優しさ」に映るものだ。高圧的だったり、無理強いしたり、横柄だったりしてはならない。私みたいな装いをする人間は特に気を遣うべきだ。
全て決めるのが良しとされているナンパ界隈。もちろん私はそこの住人ではない。魅了の世界の住人は、余裕と品格と擬態で惹きつけるのである。
緊張したままの彼女を静寂が包みこむ。なにか音楽が流れていたが、そんなもの聴いてさえいないはずだ。しばらくして大きな駐車場へとウィンカーを出す。着いたよと告げ、車を停める。予定通り…。 下見していた場所だ。
車を降りた彼女は、後方に歩いて移動していた。植え込みがあるギリギリの所からどこに向かうでもなく歩きだそうとしている。
「どこ行くの?こっちおいで、店こっち」私は笑った。彼女も笑った。
その様子から強い緊張状態にある事がわかった。
“悪くない”
大切なのは感情の揺さぶりだ。
車道側を歩こうとする彼女にそっと手を添え、歩道側に導く。母親の習性だろう。「轢かれんぞ?」私がそう言うと彼女は笑った。
予約していた店は、駐車場の真向かい。徒歩20秒だ。
店のドアを開け、彼女を待つ。私の姿を見たスタッフは、予約の有無も名前も聞かず「こちらへどうぞ」と案内した。当然だ、少し前に予約席の確認に来ているのだから。
彼女のほうを振り向き、少し眉を上げて、おどけてみせた。きっと常連なんだろう、彼女はそう思ったのかもしれない。正しくもあり間違いでもあった。数年前、二十歳の女性と付き合っていた時によく来たお店だったのだ。
もっと奥の方の、そう、あの席だ。よくあの席に座った。お酒が好きだった彼女はとにかく何杯もおかわりしていた。顔を赤くしてウンウンと頷き、私の話をよく聞いてくれた。いや、ほとんど聞いていなかったのかもしれない。まぁどうだっていい。
酔っぱらってトイレに入った後、テーブルの向かいの自分の席には戻らず、私の横に腰かけた七海。私のバッグを邪魔そうに向かいの席に雑に放りやる七海。
「ねー もう行こう」
決まって彼女から言い出した。私達は何度か指先を触れ合わせながら歩いた。見慣れた建物、見慣れたエントランス。やんちゃな顔で最上階のボタンを勢いよく押す彼女。
そういえば彼女はどんな香水をつけていたのだろう。
思い出せない。
記憶の引き出しを開こうとした瞬間、美華の香りに呼び戻される。
小さな円卓、4つの椅子。
瞬く間に埋め尽くされた七海の残像を一気に掻き消し、隣の席にバッグを置いた。
私の隣には Louis Vuitton モノグラムマカサー
美華の隣には DIOR オブリーク エンブロイダリー
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“ こうあることが当然なのだ ” と言わんばかりに互いの装いや持ち物には一切触れないふたり。尖った所もどこか似てるな。
「おもしろい夜になりそうだ」