幸福とは? 哲学チャンネルさんの3人と、自分の幸福を語る

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哲学チャンネルさんに、ブログなどで動画の紹介の許可を貰っているので解説する。

①被害妄想をすることで不幸になる
 →ラッセルの幸福論。被害妄想の自意識を克服する=自己肯定感を高める
 →客観的に情報を集めて、自分を正しく理解する

②幸せは人生の苦痛を上機嫌でいられるか
 →アランの幸福論→心が大事→食事と運動が良くなれば心もよくなって幸せ
 →不機嫌にならないように外的なマイナスを「能動的に遠ざける」

③人間は怠惰で受動的で堕落→自分でよく考える
 →ヒルティの幸福論→勤勉で内的なもの
 →努力や好きや内面でどうにかなるが、金や名誉の外面は選べない
 →不幸と感じたら試練だと思え

3つの幸せの解釈、面白い!
①ラッセルは被害妄想をやめろ! ②食事運動をよくしてネガティブに距離を置く ③不幸は修行と捉えて勤勉に

18世紀は西欧の飢饉や革命の中で「幸福と不幸の格差」が大量発生して、人々は幸福を求めた。

哲学者たちは、主に「健康的で不幸から離れて勤勉に」というキリスト教の宗教観を取り入れた生き方を模索していたのだと思う。


2023年の今、日本では「SNSによる幸福の比較」が日常的になったと思う。
成功者と比較して、自分はダメだ……と悲観したり、絵や小説でも「なんでこいつより売れないんだ」と数の結果で落ち込んだりする。


俺が考える幸福論は、苦労逆境の土台を作って、至誠が見つかったらそれの向かって生きるだけ

そのためのベースは「情熱」と「行動力」だと思う。


果報は寝て待て。


それは年配の方が一番、嘘だと思う言葉だったことか(トリビアの泉)。
ずーっと寝ていても何も起きない。
何かをやり続けて、リフレッシュの時に待っている、ならわかる。

ゲームで何でも、行動しない、決めきれないことがギルティ(罪)だと思う。
例え歩いて敵と戦って負けたとしても、負けたときの戦闘経験は無駄にならない。
ただ呆然と立ち尽くすことは、ゲームでは無意味(待って何か起きる例外はある)だが、リアルではそれを意識しない人が多い。

悩む前にまず行動、行動してからその後を考える。

これが行動の土台であり、その成功体験があれば立ち止まらずに動くことが習慣になるだろう。
あとは不幸と逆行を乗り越えること、これで幸福と不幸の物差しが増える。

大企業の息子で不自由ない人の3LDKの暮らしは不幸だと思うが、貧しい一家の息子には幸福な住まい環境となる。
双方が一週間、入れ替えて生活すれば、自分が不幸だったこと、幸福だったことの尺度が増える。

そして、他人の幸福や不幸はしょせん他人事、自分のやりたいこと、自分の心と体を比較することで「極端な不幸」を感じなくなる。

現代社会のSNSは、自分との闘いから、ネットの成功者との比較で幸福不幸を決めているため、それに洗脳されてしまうと無駄に落ち込んでしまう。

この落ち込みによって、あらゆる未来の行動に「マザー2のホームシック現象」のような、雑念が脳を占有する状態になる。

こうなると大変。努力や精神論で何とかできるものではなく、ずっと引きずるので生産性が落ち、さらに不幸になる。

自分は自分、他者は他者と割り切り、自分の至誠(情熱+使命)を見つけたら、それだけに集中して行動しよう。

気づけば、不幸というネガティブは減り、やりがいというポジティブが増えて、相対的に幸福を感じられると思う。



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