自由意志ってないと思う? →オープンワールドゲームは自由意志? と同じ。ある程度、使命はあって人生は自由。外れたら戻される神の力が働く

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俺の直感では、自由意志は「あるけど無くなる」という回答だ。

なーにそれずるい! と思うかもしれないが、タイトルの通り「オープンワールドゲームに自由意志はあるか?」と同じ答えになる。

ある人は、人間は自由だ! 何でもできる! 何でも選べる! と言う。

またある人は、生まれながらに運命は決まっていて抗えない、と言う。

俺は、生まれ環境によっては自由だけど、定められた運命に情熱をいだき導かれる、と言う。


ココナラではタロット他、四柱推命、紫微斗数などなど色々な占い師がいる。
彼ら彼女らの占いは、「依頼者が生れながらに求めてきたことか?」というだ。
恐らく占い師の方なら、その都度状況が変わるし、定められた運命もある、と含みを持たせるだろう。


なぜ自分は「オープンワールド」と言ったのか?
それは、①選択肢は無数に存在する、と②最終的には製作者の意図通りの結末を迎える、の2点が混在するからだ。

え、自〇や事故で死んじゃう人はどうなの? って聞く人もいるだろう。

オープンワールドゲームで死んだら、別キャラでその時系列のままリスポーンと考えてほしい。

ただし、クリアミッションと次のミッションはある程度引き継ぐ。

この例えは、魂が器=人間の体=エゴを操作して、動かなくなったら別の肉体に転生することと同じだ。

その場合、カルマ(業)という魂が解脱=涅槃して転生ループを抜けるための修行をトロコンしているかどうかで決まる。

①まず生きのこって往生する→②人を愛することを知る→③正義のために手を染める→④献身してすべてを捧げる→⑤悟り、それを人々に伝える→⑥意思の通りに自由に生きる

例えばこんな感じ。最初は楽だが、後に行くほど難易度が上がっていくゲームに似ているが、「オープンワールド系ゲーム」は行動制約がなくいきなり高難易度のステージに移動できる。

独裁国家で1000年の頃にとある青年から魂がスタートして、愛する人ができたが処刑されたとしよう。その場合は②の愛を知る前の①で寿命で大往生が
クリアできていないのでもう一回転生(時系列通り)になる。

本人は基本①②③④⑤⑥を知らない。神=1つの意志は知っているが、転生時に魂ごと忘れるように封印してあるためだ。

面白いのは、ある程度年や転生回数を繰り返すと、救済措置なのか神側がアドバイスや直感的な所、運命的な出会いを用意してくれるようになる。

これは俺もリアルで経験したことがある、「ネドじゅんさんの思考がなくなった」イベントと同じ、偶然の出会いや直感でふわっと真理が見えちゃう系だ。

これは魚豊(うおと)さんの「チ。地球の自転について」でミランダさんが「神の善による歩み寄り」で語っていて、俺もそう思った。

全く知らないごく普通の人に、突然白羽の矢が立って運命に導かれるように「ある目的」に夢中になる、というもの。

その人がもし途中で消えてしまったら、また別のランダムな人が選ばれる。
先ほどのカルマ(業)にも絡んでいるが、今世でサボりすぎてミッションをこなせていない場合、ケツを叩くように強制イベントが起きる。

これも無視し続けると、まあ別に不幸になることはないが、死亡して魂=クオリアになった時に「あー! あの時のイベント無視してやらなかったー!」となり、「はぁ……来世では達成できるようにしよう」と思うのである。

話を戻すが、オープンワールドゲーに自由意志があるか? という問いには「選択肢の自由があり好きに順番を選べる」と「製作者の意図通りの結末になる」であり、「何度転生しても良いがミッション=業は引き継ぐ」である。

そう考えた時、①②③④⑤⑥の例えの魂ミッション=解脱・涅槃のための体験条件は「自由意志か?」と言われるとちょっと違うだろう。




自由に行動できるけれども、魂=プレイヤー単位で見たら「ゲームにおけるやるべきことは決まっている」である。

クリアする気がない人は、永遠にカルマ=業の声をガン無視して自由に過ごし続けるだろう。
気づいて行動している人は、魂の直感に従って最優先で行動し、その今世で為すべきことをして満足げに大往生するだろう。



みなさんはどっちだろうか? 魂の声を聴いただろうか?


俺は明確に3つわかっていて、30年後先を考えて行動している。
「カントの呪をぶっ壊す」=一元論経験主義を日本で脱却する思想や宗教を作る
「みげか3タイプを履歴書やESの欄として追加させる」=本note展開
「住民票やマイナンバーに前世項目を追加する」=億ラマ計画

これらを7年以上前からしつこく脳内に囁いてきて、自分でも無視したし、親友にも話すことはなかった。
でも6年前にとある覚醒イベントで、左脳=思考が外れて右脳=直感に切り替わることが起きてから、これら3つを信じるようになり、情熱をもって取り組めるようになった。
「直感をそのまま、色眼鏡なしでアウトプットして後から改竄しない」
「金と時間がある中小企業の社長に全てを話す」

この2つは、上3つとは別の中間ミッション直感である。
これらのために、ゲームやギャンブル、無駄なSNS時間を減らして今ココナラブログやnoteのように直感のアウトプットの活動を続けてきた。

自由な選択はできるけれども、魂レベルでやるべきカルマは決まっていて、導かれる。だから全体で見ると自由意志はない、と俺は結論付ける。

次、カルマで重要な西田幾多郎先生の至誠(情熱+使命)を深掘りする。
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