vol.3 私の多頭飼いの経緯

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コラム
私は少し前まで犬を2匹飼っていました。なぜ”少し前まで”かというと・・・12月末に1匹が亡くなってしまい、今飼っているのは1匹になってしまったからです。あれからもうすぐ1か月経ちますが、まだ時々さみしくて涙が出ます。きっと心の奥では、私がいつか天国に行ったときに再会できることや、彼女の魂が時々私に会いに来てくれていることをちゃんと理解しているのですが、顕在意識の私はまだ彼女に会いたくて、抱っこしたくて、さみしくなってしまいます。時間薬を待つしかないですね。。

今日のお題は私の多頭飼いの経緯です。少し話が長くなりますが、もし多頭飼いを検討している方がいたら、参考になったらいいなと思い、書かせていただきます。

実は私は14年前、夫の転勤でアメリカ、カリフォルニア州のロサンジェルスに引っ越しました。最初は英語も話せず、車も運転できず、友達もいなかったので、孤独を感じて少し鬱気味になり、「犬でもいい、友達が欲しい!」と夫に訴えたら、柴犬を飼いたかった夫がロサンジェルス郊外の日本犬ブリーダーさんを見つけたのです。ちょうど生後2か月の子犬がいると聞き、見に行ったらとても可愛くて、即決で飼うことになりました(^^ゞ 毛並みが美しい穂の色をしていたので、美穂と名付けました。柴犬の美穂とお散歩に行くようになり、近所を歩いていたら偶然日本人の女性と出会いました。彼女も犬を散歩していたのです。とても良い方で、地元の犬の保護団体でボランティアをしているから、一緒にどうかと誘ってくれました。私はすぐ参加しました。ボランティアの内容は、週末にペットショップで開かれる譲渡会の準備と当日のお手伝いでしたが、そのうちフォスターもやるようになりました。フォスターは、預かりボランティアのことで、シェルターや保健所から引き出した動物たちが、里親に引き取られるまで預かるボランティアをすることをいいます。私が最初に預かりをしたのが、1歳くらいのメスのピットブルMIXでした。彼女は以前に虐待されていたことがあり、初対面の人が彼女をなでようとするだけで飛び掛かろうとすることがありましたが、それを除けばとても頭が良く、感情豊かな犬です。すぐ私になつき、どこにでもピッタリ付いてきました。彼女の預かりを始めて3か月後、ある日彼女は引き取られていったのですが、私と夫はさみしくなってしまい、なぜ自分たちが引き取らなかったのかと後悔しました。その数日後、そのピットブルMIXは団体に戻されました。どうやら引き取った家の小学生の男の子たちに虐待されていて、ある日子供達に襲い掛かったというのです。家族は怖くてもう犬には近づけないと言い、犬を戻してきました。その時に私と夫はうちで彼女を引き取ることを決めました。元の名前が長かったので、私がリリーと名付けました。彼女は戻ってきてから、スケボーをする男の子に襲い掛かろうとしたり、初対面の人や犬に緊張して、噛もうとするようになってしまったので、リリーと私たちは一緒にしつけ教室に通いました。リリーの初対面の人に対する緊張はなかなか改善しませんでしたが、私たちは彼女のコントロールがうまくなりました。また、それまで柴犬の美穂だけで留守番をさせると、プラスチックのおもちゃやトレイをボロボロにされたり、ソファーをビリビリにされたり、ゴミ箱をひっくり返されたりと、いたずらがひどかったのですが、リリーと一緒に留守番をするようになると、いたずらはかなり減りました。リリーは一緒に暮らすようになって2~3年は、美穂が近づいてくると、背中の毛を逆立てて緊張していましたが、そのうち慣れてきました。よく2匹で家の中で追いかけっこをしたり、プロレスごっこをしていましたが、年を重ねてくるとあまりやらなくはなりました。でも、時々くっついて寝たりはしていました。
ちなみに、リリーを引き取ったあとも預かりボランティアは続けていました(時には家に犬が4匹いたことも)。色んな犬と出会えてとても良い経験になりました。よく周りからは「3匹目が欲しくなってしまうんじゃない?」と言われましたが、今振り返ると、本当にうちで引き取りたい、と真剣に考えたのはリリーだけでした。
その後、夫が亡くなり、私一人になってしまったとき、2匹の存在はとても大きかったです。いつも私に寄り添って励ましてくれました。私も2匹がいたおかげで、どんな時も規則正しい生活を送らなくてはいけなかったので、朝晩散歩のために外に出て、すれ違う人との挨拶もしんどい時もありましたが、今思えばその習慣のおかげで私は順調に辛い時を乗り越えることができたと思います。
その後色んな事情があって本帰国することになり、4年前、2匹を連れて日本に引っ越し戻ってきました。手続きはとても大変で、2匹を飛行機に乗せることもとても緊張しました。
日本に住み、また犬の散歩を始めて気づいたのは、日本は側溝の蓋に穴が空いているんですよね。アメリカは穴が無かったので、犬達はよく穴を踏み抜いてしまい、転びそうになっていました(今はだいぶ慣れました)。あとは冬の寒さですね。ロサンジェルスは冬でも12度を下回ることがなかったので、日本の冬はかなり寒く感じていると思います。柴犬は大丈夫そうでしたが、ピットブルMIXのリリーは単毛で寒さに弱いので、服を着せて散歩していましたが・・・日本に引っ越してきて2回目の冬のある日、見たらリリーに冬毛が生えていました!!動物ってすごいですね!環境に合わせて体質まで変わるのですね!これには感動しました。
日本に引っ越してきた当初は実家に住んでいたのですが、その後犬OKのアパートに引っ越し、犬たちだけで留守番をさせるようになりました。その1か月後、ある日帰宅すると床に血がポタポタと垂れたあとがあり、見ると柴犬の首に血がついています。私はパニックになりましたが、幸い柴犬の首はかすり傷でした。私はとっさにリリーを責めてしまいましたが、やはり本当の事情が知りたかったので、ココナラのアニマルコミュニケーターさんに依頼してリリーと話してもらいました(私は動揺してしまい話せないので外注しました)。すると、新しいアパートでの暮らしに慣れないリリーが、留守番中に部屋をうろうろしたり、不安がるので、それを美穂が馬鹿にしたらしいのです。そういう日々が続き、ついにはリリーがキレてケンカになり、身体の大きいリリーが美穂を傷つけてしまう結果になってしまいました。美穂は精神的にも傷ついているけれど、「私は悪くない」と思っているし、リリーはすっかり落ち込んでいました。アニマルコミュニケーターさんから状況を聞いて、2匹の性格をよく知る私は納得です。まずは責めてしまったリリーにあやまり、2匹によく話しかけて一緒に遊ばせました。するとぎくしゃくした空気は無くなりました。
そして私はアニマルコミュニケーションの講座を取るようになり、練習会などで美穂とリリーと話したり、話してもらう機会が出てきました。美穂にリリーのことを聞くと、留守番の時は心強いと言い、美穂の方からリリーにくっついて寝ようとすることが多く見られましたが、一方リリーと話すと、(もちろんリリーも美穂の存在に感謝しているところもありましたが)、美穂へやきもちを焼いて「私の方がお母さんのこと愛してるからね!」と言われたりもしました(^^;でも、リリーも留守番の時に美穂がいることで安心している部分があったようです。
去年の夏頃から、美穂に認知症が見られるようになり、私もリリーもそれには戸惑いました。外の仕事から帰宅すると、粗相がしてあったり、リリーがぴょんぴょん跳ねる時に美穂にぶつかると、ついリリーに怒ってしまうこともありました。リリーはそれがストレスだったようです(自分ばかり怒られる、美穂にばかりかまっている、など)。美穂が亡くなる前の1,2か月は介護をしていました。その頃リリーがどんなふうに振舞っていたか、ほとんど覚えていないのですが、美穂が亡くなってリリーと2人で過ごすようになり、私が帰宅するとまた元気にぴょんぴょん跳ねて喜んだり、おやつをもらう前にバタバタしたり、散歩で軽く走ろうとしたり・・・リリーはずっと自分の感情を抑えていたのだなとやっと気付きました。

多頭飼いのお宅のペットさんとアニマルコミュニケーションをして、やきもち焼きさんはたくさんいるのだなあと気付きました。「私を一番にして!」「もっと私にかまって!」と訴えてくるペットさんの多いこと(^^;でも、中には「もう1匹連れてきてくれてありがとう!」と同居の他のペットさんの存在に感謝しているペットさんもいます。本当に人間と同じですね。同居ペットとの相性が良かったり、悪かったり、やきもち焼きや、ライバル視したり・・・でも、どの関係にも、ペットさんにっても、飼い主さんにとっても、何か素敵な学びになっていることは間違いないと思います(^^)
だからと言って「多頭飼いおススメです!」とは手放しに言えない部分もあります。経済的な理由、家族との相性、家族の生活リズムに合うかどうか、環境、などなど・・・考慮しなくてはいけないことがたくさんあるからです。だから私もリリーを引き取るかどうか3か月悩んだのだと思います。1頭だけ飼うことにも、多頭飼いにも、それぞれの良さと大変さがあります。
私は美穂とリリー、3人で過ごせた日々が本当に貴重だったと今思います。今リリーと2人の時間も大切にしたいです。

・・かなり長くなってしまいましたが、どなたかの参考になったら嬉しいです(^^ゞ




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