ついに遺書を書きました

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先日、とある検査を受診しなければならなくなりました。一般的な検査ではありますが、何万件かに1回、意識が戻らなかったケースがあるようで、検査を受ける上で同意書の提出が求められました。そんな説明を聞いてから帰宅し、私の意識が戻らなくなったときのことを考えていました。
家のこと、事業のこと、年老いた両親のこと、子どものこと。大切なことは他にもあります。それをいかにすれば良いのか。私自身では、どうにもならないのですから、誰かに託さなければなりません。
私には妻も兄弟もいません。両親は、正常な判断や処理をできる状況ではありません。一人娘は、まだ世間知らずなので、彼女に大役を任せるのは可哀そうだと思います。叔父や叔母も高齢で頼みずらいし、従兄弟は親と故郷を捨て都会に出ていっちまった自分勝手な連中ばかりです。
結果として仲間に託すことになるだろうなと思い、勝手に手紙を書いて机の中にしたためることにしました。遺書というほどのものではありません。引継書のようなものです。
仲間のうちの誰かが気づいてくれることでしょう。財産の処分、生命保険、葬儀などについて考え方を整理して引出しにしまいました。処理していただく方にも幾ばくかの気持ちを包みました。
さぁ、この引出しを誰が最初に気づいてくれるだろうか。そして、見つけてくれる時期を考えると、また不安になりました。
見つけてくれるのには、私が亡くなってから日数がたっているかもしれないし、私は自分の葬儀のことも書き示したのですが、それを見つけていただいたときには私は既に焼かれているようにも思います。
そんなことでは、見つけ出してくれた人にガッカリさせてしまいますよね。
止むを得ず、一番、身近な方に事情を説明することとしました。
検査の結果、大事には至らずに済みましたが、今回の経験から感じたことがあります。
私のように孤独な生活を送る人間は、おだやかに亡くなるのが難しいのかもしれません。数少ない家族、親族に迷惑をかけないよう健康でいなければと思います。
なのに、なのに、なのに。タバコに火をつけてしまいます。
ぼちぼち、正式な遺書が必要なのかもしれないと感じております。

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