カメラのシャッターは男気を持って切るものだと思う

記事
ライフスタイル
優里さんのシャッターという曲があります。我が家では、特に午前中に流れています。
歌詞を聞き取ると、青年が好きだった女の子に振られてしまい、どうしようもなく落ち込んでいる様子です。
サビの辺りが心地よく、歌詞も自分の中に食い込んできます。いわゆる軟派な話なのに、浪花節を地でいく私がどうしてしまったのかと、自分の精神状態が不安になります。
男女平等とか、そういう話は、ここでは勘弁してください。
男子たるもの、女子に嫌われても、振られても、そんなことを口に出すのは、恰好悪いでしょ。この歌詞は大丈夫なのか。そう感じながらも口ずさんでいる自分がいます。
こんな調子で弱音を吐くことは、私たちが若いころには男子に許されていなかったというか、むしろ女子に嫌われていたように感じます。
「君に振られたけどね、俺はもう前を向いているよ。君が幸せになったのなら、俺は何も望まないよ。おめでとう。俺のことなんか心配する必要ないよ」それが私たちの時代の男前な姿ですが、この曲の中では、そんな様子や男気は、どこからも感じ取れません。
カメラのシャッターに例えていますが、カメラを仕事で使っていた私は、シャッターを切るときのことを男らしい瞬間だと感じていました。ロックでハードでパワフルな、それでいて繊細な感覚をもってシャッターを切っておりました。
「全ての時間を君だけに使えば良かった」そんなこと、ありませんよ。君は、君の人生を歩むべきで、そんな素敵な君のことを理解できない彼女のほうが、きっと、どうかしているのです。おいおい、なんでオジサンが君を慰めなきゃならないの。
この曲は今の時代には受け入れられているようです。
私だって曲は好きなんです。だからカラオケで歌ったりしています。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す