以前、日本史の中で筆者が好きな恋の話を書きました。
鳥海勘兵衛とその妻の話です。
世界史でも、いい話がないか考えていたら、意外な人物の、意外な一面とその恋の話を知りました。
その人物は、英国の名宰相 ウィンストン・チャーチルとその妻・クレメンタイン・チャーチルでした。
チャーチルって私は鉄の心臓をもつ首相だと思っていたのですが、違ったようです。
ウィンストン・チャーチルの政治人生は、もう波乱の一言です。
内務大臣時代は、ストライキを弾圧して支持者を失ったこともありました。
海軍大臣時代は、ダーダネルス海峡遠征に失敗、また世界的な物理学者・モーズリーを手違いで前線に派遣してしまい、ガリポリ要塞で戦死させたりもしています。
ちなみに、モーズリーは生きていたらノーベル賞確実と言われ、彼の発見した観測法で、元素の周期律表は完成に近づいたのです。
そして、後年、チャーチルがノーベル文学賞をとるのも皮肉ですが。
その性急な政治や失敗で、チャーチルは一時期国民に嫌われ、歩くと腐った果物やレンガなどが飛んできたほどだったとか。
そして、これが意外だったのですが、チャーチルは人一倍繊細で、ストレスがたまると慢性的な鬱状態に陥っていたそうです。
そのチャーチルの支えになっていたのが、妻のクレメンタイン。
クレメンタインは、政治家になって活躍し始めたの頃のチャーチルと知り合いました。
当初は、フランス語会話の教師で、裕福であったわけでもない普通の女性でした。しかし、チャーチルのひとめぼれだったようです。
政治家に批判はつきものですが、やはり毎日批判に接していたら、心は平静ではいられないでしょう。
鬱状態になって引きこもる夫をいつもなぐさめてはげましたようです。
一方で、夫を批判する貴族に怒りをぶつける場面もあったとか。
クレメイタインもそうした生活にはなれなかったようですね。
また、チャーチルの演説に助言したり、
ストレス発散のためにサポートしたりと、夫を常に支えていました。
チャーチルは実際に
「わたしがこれまでやってこれたのは、妻の助力があってのこと」
このように語っていたと言います。
最も嫌われたチャーチルは、1940年、チャーチルは首相に就任しました。
そして、強力なリーダーシップとカリスマ性でドイツに占領される欧州の中で苦しい戦局でも国民を鼓舞し続け、イギリスを勝利に導いた偉大な宰相として
歴史に名を残しました。
チャーチルは晩年、自身の功績について尋ねる質問にこう応えました。
「私の最大の偉業は、妻を説得して私と結婚させたことだ」