神の計画 5

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神の計画によると、私たちがこの地球で生きている間にしてほしい事があるようです。
そして、それを実行すると運気は上昇し幸福に満ちた人生が送れるそうです😊
では、何をすればいいのか?・・・をお伝えしていきます。


*ここで話す神とはキリストの事ではありません
 神としてのみ存在している愛のような存在です*


第5回目にお伝えしたいのは『愛を与える』です。

*****神の計画 5*****

今、あなたは何を目標に生きていますか?
自分の好きな仕事がしたい。
次の試験やテストで良い結果を得たい。
いついつまでにまとまった金額の貯金したい。

どの目標も称賛に値する良い目標に見えますよね。

ですが、神曰くどの目標も、ただ経験したくて思いついた
「努力して、できるとこまで自分なりにやってみよう!」
という感じの・・・成せば自分なりに満足できる経験です。

はっきり言ってそれは神の計画ではありません。
神が重視しているのは『愛のある行動』です。

例えば、困っている人を助けたり、誰かが散らかし捨てたごみを
拾ったり、捨て猫を拾って一生懸命育てたり、親孝行したり
無償の愛で子育てしたり、こんな感じの行為を指しています。
まさしくその行動にはありそうですよね『愛』が!!!

自分の大きな目標を達成している人は、『愛』のある行動を
している人が多いです。大谷翔平さんもその一人だと思います。
彼は自分の目標を確実に達成していっています。絵に描いたように
難しそうな目標をどんどん達成していってます。
人間として、彼を見ると、本当に素晴らしい!の一言です。
そして、なにより彼は落ちているごみを拾う人なのです。
これですね!彼の成功の秘訣は!成功の裏には『愛』ありですね。

どんなにお金持ちになっても、どんなに地位と名声を残しても
そこに『愛』がなければ、神様には、「素晴らしい!よくやったね!」とほめてはもらえないようです。

神様がほめてくれるのは
・電車でお年寄りに席を譲った。
・介護が必要な親の世話をしている。
・いじめられていた友達を助けた
・拾ったお金を交番に届けた。
・後輩を一生懸命に指導する。
他にもたくさんありますが、ここに書ききれないです。
でも、よく見ると誰にでも出来る行動です。
資格や努力や条件など関係なく出来る事です。
神の計画は特別な事を成し遂げようといった事ではなく
ごく普通に生活していくうえで『愛』と共に行動出来るような
事ばかりす。

どうですか?あなたは、『愛』を誰かに与える事ができていますか?
今からは率先していろんな方法で『愛』を与えてみてください。
すると、あなたも大谷翔平さんのように自分の目標が達成できる
ようになりますよ!

最後に臨死体験をして『愛を与える』事の大切さを
知った男性のお話をさせてください。

【臨死体験をした男性の話】

 マイクはある日銀行にいた。
そこへ、銀行強盗が行内に入ってきた。
「誰も、動くな!」
強盗の男は大きな声で叫んだ。
強盗は銃を持っていた。
 正義感の強いマイクは、この強盗を取り押さえようと
どうしたものか考えていた。
強盗の一瞬のスキを盗んでマイクは強盗にとびかかっていった。
だが、無念にも強盗の銃が彼の胸を打ち抜いた。
マイクはその場に倒れこんだのだ、その瞬間近くにいた他の
客の男によって強盗は取り押さえられて、行員が警察に電話をし
救急車も駆けつけマイクは病院に運ばれていった。
 マイクが負った傷は深くかなり出血がひどく重症だった。
 救急治療室で彼は自分の人生の終わりが近づいているのを
感じていた。死後の世界を彼は今まで深く考えたこともなかった。
マイクはどんどん深い暗闇の中に吸い込まれていくのを感じて、
「きっと自分は死ぬのだろう」と確信した。それと共に意識が
遠のいていき何も考えられなくなっていった。

 次にマイクが意識を戻した時は、病室のベッドの横に立っていた。
何かがおかしい。確か自分は死んだはずなのになぜいきているのか?
夢のような感覚さえあるが、夢とは違うとはっきり感じる事が出来た。
物を触った時の感触や嗅覚、聴覚など生きていた時と全く同じだし
しかも全ての感覚がとても研ぎ澄まされている。
驚くことに横にあるベッドにはマイク自身の体が横たわっている。
幽体離脱のような現象なのか?
すると部屋の外から「マイク!こちらに来て!」と数人のグループが
マイクを呼んでいる。初めて見る人達だが彼らはマイクの名を知っていた。
「あなた達は誰なのです?」マイクは尋ねた。
「私たちはあなたを助けに来たのですよ。だから私達と一緒にあちらに
行きましょう!」と彼らはマイクに自分たちと向こうのある場所に
行くように説明した。

 マイクが体験した不思議な出来事が本人によって下記のように語られた。

 彼らについて行く道すがらの光景は白い霧のようなものがかかり
はっきりとは見えなかった。彼らのグループは性別や年齢など皆
ばらばらで、グレーがかった洋服に血色の悪い顔色だった。
まるで映画に出てくるゾンビそのものだった。
 急いで歩いても私は彼らのすぐ近くには行けず、数メートル離れた状態で
彼らの後ろをただ、ひたすらに歩いた。
 彼らは、私がついて行くのをやめないように私に言葉を投げかけてくる。
「私達についてくれば、今のあなたの問題は必ず解決するから」と。
その言葉だけを頼りに、歩き続けた。その間彼らのグループの人数は
少しずつ増えていき、霧もだんだん濃くなり辺りは暗くなっていった。

 一体ここがどこなのか?どこに行くのか?もわからぬまま時間だけが
過ぎていき、次第に私は歩くことに疲れ「もう、歩けない」と彼らに言うと
始めは丁寧に答えてくれていた彼らだが、彼らから発する言葉は激しい口調になっていき、「早く歩け!急げ!」といった言葉ばかりになった。 

 歩き疲れてふと気づくと辺りは真っ暗だった。自分が何をしているのか解らず、思わず「これ以上は無理だ、君たちと一緒に行きたくない!」と
口から出てしまった。すると彼らはとうとう私に対して暴力を振るい始めた。
殴る、蹴る、噛みつき、私の肉を引き裂き、肉を食いちぎっていく。
彼らは明らかに楽しんで私を襲っているのだ。あの嫌な感覚ははっきりと
今でも記憶に残っている。
 私の体はボロボロになり、もはや彼らは私の体で遊ぶのをやめるかのように
私のそばから離れてただじっと私の方を見ていた。地面に横たわった私は
遠くから何かの声を聴いた。「神にお祈りしなさい!」
しかし、私は神の信仰者ではない、神に祈ることなどしない!祈ろうが祈るまいが何も起こるはずがないと思った。このみじめな状態のままただ倒れて
いる事しかできなかった。
 そうしている間に何度も「神にお祈りしなさい!」という声を聞いた
そしてその声は大きくなっていった。
 教会で習った神への祈り方を必死に思い出し、覚えている祈りの言葉を
ささやくようにつぶやいた。すると彼らは急に怒りをあらわにし、また
ひどい罵声を私に投げかけてきた。「神なんかいるはずがない!誰も
お前を助けに来るわけがない!くたばれ!」しかし、彼らの声はどんどん
遠のいていくように感じた。私のそばから離れていっているのがわかった。
私が祈れば祈るほど彼らは遠のいて行った。そうか神に祈れば奴らを追い払う事が出来るのだと、私は気づき、もっと強く祈りの言葉をさけんだ。
とうとう彼らは、神に対する侮辱的な言葉を吐きながら暗闇に消えていった。
 どれくらい暗闇の中で横になっていたか判らないくらい時が過ぎて行った、その間、自分の人生を振り返り、どんな人生だったかを思い出していた。
 私の人生あまり幸福ではなかった記憶がある。とにかく私は仕事人間で
家の事は妻に任せっきり、子供の世話などほとんどしていないし、自分の事だけで精いっぱいだった。ただ成功を手に入れるのに必死だった。幸せになるには成功するしかないと思い続け生きてきた。だがもうそんなものは今の
この、みじめで悲惨な状態の、このまま死んでしまうかもしれない自分には何の価値もないと感じたのだ。
 私は自分のことが好きではなかったし他人にも同じ感情を持っていた。人に対する思いやりもあまりなかった。もっと違う人生の選択があったのではないか?人を助けるような思いやりを持った生き方が出来たのではないか?なんだか後悔の気持ちが私をつつんでいった。
 すると子供のころに教会で歌った神にささげる歌を思い出した。純粋で無垢
だったあの頃は、確かに神を信じ何も疑わずに神を信頼し何度も何度も歌っていた。それを思い出すと同時に「神が私を愛していて下さるなら、どうか私を
救ってください」と心の底から祈った。そして大きな声で「神よ!どうか私を見捨てないで救ってください!神よお願いします!」と力の限り叫んだ。
 すると遠くの方で美しく眩しいほどの光が現れ、だんだん自分に近づいてきている。よく見るとそれは光に包まれた大きな人物のように見えた。それが
私を抱き上げお越し、その光の前に私を立たせ、私の傷の痛みを取り除き、体はみるみる回復していった。
 それは神であった。私は神から愛を頂いたのだ、本当に神は願い通り私を救ってくれたのだ。今、神から頂いている物が愛だと何故か私にはわかった。
言葉にならない幸せを味わって、涙が止まらなかった、子供のように泣きはらしていた。
 神は泣き続ける私の肩をやさしくささえながら、私と共に一瞬で遥か遠くの場所に移動して行った。そこには大きな光があり、その光からたくさんの光の球が出入りしていて、とても神聖に見える。そして私は、自分がこの場所にふさわしくないと思い始め「私はここに居る資格のない人間です」と神に告げた。
すると神は「いいえ。あなたは、この場所に属しています。あの光の球たちは
聖人や天使たちです。あなたとテレパシーで会話ができます。あなたの全てを
彼らは知っています。」と言った。
 しばらくして天使たちが私に、私の人生の記録映像を見てみないかと聞いてきたので、流れに任せて見ることにした。その記録とは私からの視点でなく第三者的な視点から見たもので、人とどんな風にかかわってきたかを、私に見せるためのものらしい。
 私は神と天使たちと一緒にその映像を見ていった。出来事は年齢と共に進んで行き、人間界において霊的な成長をとげるために必要な場面だけが、選ばれて見せられた。
 私の父は成功だけを目標に生きた人で、とても厳しく、仕事のし過ぎで常に
怒りと苛立ちをあらわにしていた人だった。なので私たち家族は皆、父に認めてもらいたくて、愛してもらいたくて、父の機嫌を損なわぬよう行動していた
時の、その姿を見せられた。次第に、私は怒りが他者を支配するという事を知る。私たち家族はゆがんだ愛で成り立っているのがわかり、そしてその時、天使たちは、この愛のない家族の事をどれほど悲しんだかを教えてくれた。
 父の暴力や暴言を、家族が受ける姿は、神と天使たちを落胆させ、それと同時に私の悲しみも彼らは同じように感じてくれたいた。
 私の学生時代の場面では、部活動の野球で良い監督や先輩に恵まれ、とても充実した学生時代だった。この時が一番、自分の人生の中で誇れる時だった様に思う。クラスでは、学級委員だったし、生徒会長にもなった。部活では、キャプテンにも選ばれ、大会では常に優勝常連校だった。私は、野球の大会で最優秀賞にも選ばれたこともあったのだ、プロ野球選手も夢ではないといわれていたこともあった。ところが、それには神や天使たちは全く興味を示さず、私と部員や監督とのかかわり方にのみ興味を示した。
 大人になり愛を与え、与えられるために結婚をしたが、本当に愛を学べている時もあったが、時がたつにつれ妻や子供に愛を与えられずに、身勝手に仕事ばかりを言い訳に家庭に対する愛を忘れていた時が多かった。この映像の中で一番つらかった場面は、子供が一番、私の愛情を必要としている時に、子供に無関心で仕事を重視し、子供の気持ちには応えることなく、それゆえに子供たちが悲しみ、私から見捨てられている、という感情を抱いているのをみるのは胸がはりさけそうだった。いつの間にか自分は自分の父親そっくりの行動をとっていた事にも気づき、苦しくて映像を見るに堪えられなくなった。
 私がどれほど愛に無関心で、ひどい過ちを犯していたかを映像が教えてくれた。神や天使たちは私の栄光や成功などには全く関心がなく、どれだけ愛を持った行動をしてきたかという事にのみ関心を持ち、彼らは、私が愛や思いやりのある行動をとった時にはとても喜んでくれていた。
 私の情けないどれだけ反省してもしきれない人生の映像を見て、悲しみ傷つく神たちの姿を見て、自分という人間がとても恐ろしい愚か者に思えた。これ以上彼らに自分のみじめな人生を見せたくないし自分自身も見たくないので「もう、映像を止めてほしい」といったが、神たちは私の醜い態度や姿を見ても悲しみはするが決して、私への愛を与えることを止めなかった。だから最後まで映像を見ることにした。
 要するに、神は思いやりや愛のある行動には大変喜び、その真逆の時はとても苦しみ傷つき悲しんでいたのだ。
 神にはごまかしは効かない、全てお見通しで、みんな死を迎える時、自分の人生の映像をみせられるのだ。私たち人間は、愛や思いやりを時には与え、時には与えられなかったりする。だが、神は100%の愛を必ず常に私たちに与えてくださっています。何故、私達には神と同じことが出来ないのでしょうか?私達は神の子なのに・・・
 それから私は神の計画に沿って生きるための質問をいくつもした。神は優しく丁寧に、わかりやすく、次々に難しい質問に的確な答えを教えてくれた。こんな奇跡的な素晴らしい時間を、まともに生きてこれなった自分に与えてくれるなんて、これは神のなせる愛の証だと言わずにはいられぬほどだった。
このまま神とずっと一緒に居られるなら、生き返らなくてもいいとさえ思えた。だが私がこんな素晴らしい経験をするのには、やらなければいけない使命があるからなのだと、後で気づくことになる。

 マイクがこの世で目覚めたとき、彼の体は病院のベッドで横になっていた。
自分が生きている事に気づくまでしばらく時間がかかったが、妻と子供たちが
私の目覚めを喜んでいたので、天から戻って来たのを確信した。
 神はやっぱり本当に存在するのだ。
 天界でのことがとてもはっきりと鮮明に記憶に残っており、私は臨死体験をしたのだと、すごい体験をしたのだと、神に感謝しながら、天界の余韻にひたっていた。

 のちにマイクはあの時、天界で神から教えられた多くの質問の答えと、神の計画を一人でも多くの迷える人間に伝えたくて、牧師になり、教会で愛を持って『神の計画』の手伝いをする人生をおくった。
                               終わり



私達は神の計画の一部になる為に行動すべきなのではないでしょうか?
今からでも遅くはないですよね。









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