#34 日々、耳を傾ける ~ “信じる” とはどういうことか?~

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コラム
朝、息子と犬の散歩に行きます。
キンと冷えた空気が「気持ちいい」と感じたので、
それを伝えたら、
「はぁ?何ソレ?」って呆れられました。
単に寒いそうです。笑

おはようございます。
はるつぐ(はるコーチ)です♪^^

昨日は、
「 “大丈夫” は “未来を信じる力” だ」と書きました。

なので、今日はその “信じる” ってのは、どういうことか?
ということについて、少し書いてみたいと思います。


「あなたは神を信じますか?」


突然何を言い出すんでしょうね?
一昔前なら、怪しい異国の宣教師さんが、
街頭で言っていたようなセリフ。。。
(あ、若い人には、たぶん通じない。笑)


どうでしょね?
神様はいらっしゃいますかね?

スピリチュアルな方なら
「います!」と力強く答えてくれそう♪^^
(こんな理屈ゴリゴリのブログをスピリチュアルな方が、よく読んでくださるなぁと、ちょっと驚いてます。感謝♪)

私は、、、
「いる」と思ってますよ。
というか、
「存在する」?
「いないとオカシイ」?

「この世の“物理法則”自体が“神”なのだろう」的な
くわしくはないけどスピノザ的な
そんな風に、神様を捉えています。
(かの合理性の塊のようなアインシュタイン先生も
 “神の存在”は信じていたといいますからねぇ)


で、です。

「じゃあ、その存在を証明してみせてよ」
と言いがちなのですが、

これは、

「証明できない」

「いる」か「いないか」は、
合理的には、証明できない。

現代物理学を駆使してもね。
(詳しくはない。たぶん)


だから何だというのだろう?
証明は必要だろうか?


証明できた瞬間に、
それは、
「信じる」対象ではなく
「理解する」対象になる
と、読んだことがあります。

そうです。

神は “信じる” ものであって、
“理解する” 対象ではない。

神の存在は証明できない。
だけど、きっといらっしゃる(存在する)。

それは根拠のないこと。

“信じる” とはそういうこと。

“信じる”行為に、“根拠” なんて 必要ない
(というか、あったらオカシイ
 あった瞬間から、それは“理解”に変貌する)


これって、
“未来” とか “可能性” も同じだ。

「それ、できるの?」
「本当にそうなるの?」

そんなこと
誰にも分からないよ。笑

だけど、
“やりたいこと”、“なりたい自分”があるんなら
魂がそっち行きたいっていうんなら

根拠がないことを理由に
未来を信じないとか、

それって意味ある?

未来を信じていこうじゃないの
根拠はいらない。

「大丈夫」マインドで

今日も耳を傾けるっす♪^^

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