#30 日々、耳を傾ける ~ありのままでいられる “役割” が大事~

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おはようございます。
はるつぐ(はるコーチ)です。

昨日は、ちょっとトンガッたことを書いてしまったかな。。。
コーチやってんだから、
クライアントの方に “ありのままでいていただく” ことは大事。
大前提。

だけど、最近よく言われている “ありのまま” は、
個人と社会とが “対立” 、あるいは “隔絶”しているような雰囲気を感じていて、、、そこは大丈夫かな? と。

自分で発見した “ありのまま” に社会的な立場があればいいけど、
社会から隔絶した“ありのまま”で居たいってなっちゃうと、
返って自分を見失う気がするのです。

何度も書いてしまうけど、
“個人” は、人との関係性で育まれるので、
周りの人たち・環境、つまりは “社会” と不可分。

“個人”は“社会”の一部として成り立っているし、
“社会”は“個人”で成り立っている。
そんなイメージを持っています。

すみません。
やっぱ、昭和生まれなんで。笑


で、
話の続き。

じゃあ、何で “ありのまま” で居られないの?
ってことを、今日は考えたい。

今日は、“役割”をキーワードにして、考えてみたい。

社会は人に“役割”を求めます。
人は社会から“役割”を求めます。

みんな自分のことを “役割” で表現している。

「私は、会社員です」
「私は、学生です」
「私は、お母さんです」
「私は、部長です」
「私は、〇〇課の社員です」

とかね。

お母さんだったら、お母さんの “役割” を求められる。
朝起きて朝食の支度をするとか、
子供の着替えを手伝うとか、
洗濯するとか、
掃除するとか?
(いや、最近はお父さんもやるし、自分もやってますヨ💦)

そこが、自分の “好み” とか “能力” とかと、
合わなくなっちゃうと苦しくなってしまう。。。

「本当は働きたいのに」
「本当は遊びたいのに」
「料理が苦手」
「掃除が下手」
とかね。

うん。
そう。

求められている “役割” が、自分に合っているとは限らないんだよな。
そこが “苦しさの原因” と考える。

だけど、
“役割” が全くないのも、、、これはこれで苦しい。

幼稚園のお遊戯会
主役のシンデレラを演じられないけど、
何にも役割がないというのも、、、
やっぱり苦しい。
たとえ、裏方であっても “役割” が欲しいんじゃないかなぁ。


いや、何でこんなこと言うのかって、
今、“役割”で、苦しい思いをしている人に、
「何が苦しいんだろう?」と考えてみた時に、
「あ。求められている“役割”と自分の好み・能力のアンマッチだ」と
ちょっと冷静に立ち戻って欲しいんですね。

“出来ない自分はダメなんだ”
となって欲しくない。

その“出来ない”は、周りから“期待”されていることじゃないだろうか?
“役割”として“与えられたもの”じゃないだろうか?
それは、周りからの “勝手な期待” かもしれない。

あるいは、
今は、その “役割” 出来ないかもしれない。
でも、その “役割” を将来は出来るようになる。
「今は、自分を許容しよう」そう考えられないだろうか。

その “役割” をやりたくなかったとしたら、
やりたい “役割” があるんじゃないだろうか。
それを探せないだろうか?

そんな風に考えたら、
“出来ない自分はダメなんだ”
と考えずにすむのではなかろうか。


“ありのまま”でいられる“役割”
“ありのまま”でいられる“場所”と言ってもいい。

それを、“見つける”でも、
そうなるように“努力する”でも
どっちでもいい。
“出来ない自分”にフォーカスしないでほしい。

出来る・やりたい “役割” を見つける。
出来る・やりたい “役割” を出来るように毎日を過ごす。

そういうことが大事だと考えます。


今日も、耳を傾けます♪^^
(ブログ上では、かなり“言ってる”けど)
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