自信とは、自分を信じることである

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研究歴7年、28歳男性で生物系研究者の「めいす」です。
博士(医学)の学位を取得しています。

今でこそ私は明るく、誰とでも気さくに話すことができ、
自分に自信を持って生きることができています。

しかし、大学生の途中ごろまでは自分に自信のない、
自己肯定感の非常に低い人間でした。

かつて私が暗かったという話をすると、誰もが「そうは思えない」と
言いますが、中高の頃なんかは常に下を向いて歩いていたと思います。

中学の頃はエナメルバッグを持っていたのですが、なぜか電車の中で、
「自分なんかがバッグを床に置いてはいけない」と思っていて、
いつもバッグを持って座っていました。

それくらい自分に自信のない人間だったのです。

本記事では、自己肯定感が皆無だった私が、
今のように明るく自信を持った人間になるまでに、
どうしたのかを書いていきたいと思います。

1.自己肯定感が低かった理由

恐らく私が自信のなかった理由は小中で経験したイジメです。
小学校5年生から中学校3年生になるまで私はいじめられっ子でした。

特に小学生の頃はひどく、2回ほどイジメが原因で骨にヒビが入っています。
中学ではそこまでのものはありませんでしたが、周りからバカにされ、
けなされるような日々を過ごしていました。

今でこそこのように話すことができるようになりましたが、
長いこと私の中で触れたくない過去でした。
話すことができるようになったのも、自信がついたからだと思います。

このようなイジメを受けた結果、必然のように自己肯定感を失いました。
周りからバカにされ、けなされるという事実は、
「自分には何も良いところが無い」という感情を誘発するわけです。

特に私は、勉強ができたわけでもなく、スポーツができたわけでもありません。
当時は本当に自分の取り柄というものがわかりませんでした。
こうして自己肯定感皆無の自分ができあがったのです。

2.どのようにして自信がついてきたのか (中学、高校編)

私に自信がついてきた最初のきっかけは偶然の出来事です。
それは大喜利にハマって、とあるサイトで有名になったことです。

当時私は、エンタの神様といったお笑い番組をよく見ていました。
どのようなモチベーションで始めたのか覚えていないのですが、
自分も何かお笑いに関することをやりたいと思ったのか、
 当時Yahoo!にあった「お笑いスタジアム」という大喜利投稿サイトに
大喜利を投稿するようになったのです。

確か、面白いと思った回答に「ゲラ」というTwitterでいう「いいね」の
ようなものを送ることができ、集めたゲラの数が多いほど、
多くの人を笑わすことができたということになる仕様だったと思います。

私は毎日家に帰ってからパソコンの画面に引っ付いて、
ずっと大喜利を投稿していました。
ゲラが付くのが嬉しかったのです。

先ほど書いたように、私は自分の取り柄がわかっていませんでした。
恐らく承認欲求に溢れていたのではないかと思います。

自分の回答にゲラが付くことが、他人にお笑いの能力を認めてもらったように思え、承認欲求が満たされていきました。
やっと自分の居場所を見つけたような気がしました。

そこから徐々にサイト内で有名になり、自分で言うのも恥ずかしいですが、
四天王といわれるぐらいになっていましたwww

今でこそ、もう大喜利の回答は思いつかないですが、
当時の私は大喜利の才能に誇りを持つようになったのです。

そしてこれが、私の自信の芽生えとなったと思います。

高校に入った後は、友達を笑わせることに人生を賭けていました。
大喜利で培ったボケを活かして、毎日のように友達を笑わせようと頑張っていました。

少しずつ自分の周りに人が集まるようになりました。
友達から面白いと言われることが何よりの幸せでした。

そして私はお笑いにハマりすぎて、さらにモンスターハンターというゲームにもどハマりした結果、全然勉強をしていなかったため、
(お笑い養成所に行こうとしてましたwww)、成績も下から数えた方が
早いくらいでした。
受験が近づき高3から本気で受験勉強に励み、第一志望は落ちてしまいましたが、何とか都内の有名私立大学に入学することができました。

3.どのようにして自信がついてきたのか (大学編)


「自分は面白い」という取り柄を見つけ、そして受験勉強を頑張って、
偏差値もかなり高い学部に入れたこともあり、
私は少なからずの自己肯定感を得ることができました。

大学では、とにかく遊んでました。
勉強は試験前に詰め込んでいました。
のらりくらりと3年間を過ごし、4年生の時に研究室に入りました。

そして研究に出会ったのです。
お笑いの次に私がのめり込んだのは、研究でした。

当時は研究者になる予定などありませんでした。
しかし、生物が元々好きだったのと、学生実験で細胞内シグナル伝達について考察するのが楽しかったことから、細胞生物学を扱う研究室に入りました。

研究テーマを与えられ、論文を読んでいるうちに、細胞生物学の虜になりました。
読む論文全てが新鮮で神秘的で、貪るように論文を読んでいました。
論文を読むのが本当に楽しかったのです。
学部4年のうちに100報近くの論文を読んだと思います。

それだけ論文を読んでいると知識も豊富になり、思考力もおのずと付いてきます。
私の思考力の大半は学部4年のころにある程度身についたと思っています。
そして私は、いつのまにか周りから一目置かれる存在となっていました。

研究が新たに私に自己肯定感を与えてくれました。
自分は研究者として優れているという自信を与えてくれました。

4.経験から学んだこと

自信とは文字通り「自分を信じる」ことです。
私が思う自分とは、自分の能力のことだと思います。

自分の能力を信じる、それこそが自信の根源だと私は考えます。

大喜利の能力、研究者としての能力。
私は自分のその能力を信じることができたのです。

ではどうして、その能力を信じることができたのか?
2つに共通することがあります。

①とことん頑張った
②周りから評価された

大喜利も研究も、私はとことん頑張りました。
そして、周りの人から評価してもらいました。

自信をつけるには、「周りが認めるほど、何かをひたすらに頑張る」
というのが一番の方法なのではないかと、私は思います。

何か1つでもいいのです。
きっと誰にもそのような能力が眠っているはずです。

この自信の付け方が正しいのかどうかはわかりません。
なぜなら、頑張ったのに誰にも評価されなかったら、
自信がつかないかもしれないからです。
頑張るだけで、自信がつくのかどうかは私にはまだわかりません。

ただ、もし自分に自信がないと言う人がいたら、
私はきっとこうアドバイスします。

「何かを必死に頑張ってみよう。きっと誰かが見ていてくれる」

5.最後に

ここまで、私の回顧録に付き合ってくださりありがとうございました。

最後に私が思う、自己肯定感が低い時期を過ごすことのメリットをお話ししたいと思います。

そのメリットとは「向上心」です。

私は結局のところ、根は自分に自信のないタイプなのだと思います。
そのため、いくら周りが評価してくれたとしても、
「自分より凄い人は絶対に世の中にいる」
という意識があります。

そのため、決して自分に満足することがないのだと思います。
だからこそ、向上心が芽生えるのだと思います。

自分に満足していたら、そもそももっと頑張ろうとかいう気持ちにはならないですよね。

自己肯定感が低く、自信がなかった時期を過ごしたからこそ、
私には向上心という素質が身についたのはないかと、思っています。

私の経験をもとに、皆様の自信や自己肯定感を高めることをサポートするサービスを承っております。
皆様が「何かをとことん頑張る」ことを近くで応援できればと思っています。

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