悪人正機とSDGs

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………は?
と思われた方、多いですよね、たぶん。
まあ、とか言いながら、悪人正機説を理解しているわけではないんです、ぜんぜん。

でも最近、惹かれるんです。
「悪人」って、犯罪者のことではないんですね。
「衆生は、末法に生きる凡夫」、まことの善が一つもできない。だから「悪人」。そういう定義なんですね。

そして「悪」とはすなわち煩悩によってとられた行為のこと。でも、何を行うにしても僕たちには常に欲望がある。つまり「煩悩」があるから、「悪」からは逃れられない…ということなんですかね…あってますか(自信なし)

でも確かに、頷けます。

僕はよく、「譲れないものは何か」と考えます。
僕にとって譲れないものは家族。妻と息子です。
妻と息子を守ることができるなら、他には何もいらない(と言えるようになりたい。)
妻と息子が幸せでいられたら、それでいい(と言えるようになりたい。)

たぶんそれに、NOという人はいないだろうなと思います。

でも、妻と息子を守ることができるなら、他には何もいらない=他人がどうなってもいい。
妻と息子が幸せでいられたら、それでいい=他人がどうなってもいい。
と思うと、それって欲望?煩悩?のにおいがプンプンしてきますね。

でもたぶん、それって僕にとっては譲れないもの。
それが煩悩と言われても、悪と言われても譲れないもの。

それが悪であると知る、そして僕自身が悪人であると心得る。
そんな悪人の僕でも、救われますよ(救っちゃうよ)と言ってくれているのが、悪人正機説なのかしら。

浄土真宗に興味を抱いたのは、大学院でとある刑法学者の書いたものを読み漁っていた頃。この人が敬虔な浄土真宗の信者で、刑事法の話の中にバンバン出てくる親鸞の教えから惹きこまれていきました。

そのことはしばらく忘れていたのですが、最近、SDGsについて考える機会をいただいて、そこに書いてある「誰一人取り残さない」にビクッとしたんです。

善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
「目標とターゲットがすべての国、すべての人々、及びすべての部分で満たされるよう、誰一人取り残さない」ということを原則とするSDGs。

どちらも尊いけど、どちらも遠い。
だけど、SDGsも、「頑張ってる人もいるけど、そんなの知らねえよって人もいる。それでいいじゃない。だけど知らねえよって人もひっくるめて世界を救うのがSDGs魂だぜ」っていうことなんだろうか。
そして、「魂だから、スタンスだから」と思うと、少し肩の力も抜けてくれるかもしれないなと、思い至った今日の夕暮れ。

すみません、支離滅裂で。
今日のところは、そんなところです。

それでは、明日があなたにとって、僕にとって、今日より少しいい日になりますように…。





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