家族や会社にも内緒? コミッションは「特殊な」行為なのか?

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こんにちは。『徒然なる世界』の管理人リュードです。
今回は、最近思うことについてのお話をしたいと思います。

私は、自分がココナラを始めとした色々なサイトで、
テキスト関係のコミッション活動をしているということを、
ごく一部の人間にしか明かしていません。

そして、そのごく一部の人間の中に、

「私の家族」
「私が勤務する会社の関係者たち」

一人も含まれていません。

つまり、私は家族や会社といった、
自分の至近の人間たちに、

「自分がコミッション活動をしている」

ということを内緒にし続けているのです。

それは何故なのか。

単に話す必要がないからとか、
話したところで興味を持ってくれないだろうとか、
そうした生易しい理由ではありません。

私はすでに理解しているのです。

もし、私がコミッション活動をしている、
ということが、
家族や会社に知られてしまったら。

ほぼ確実に次のようなことを言われるでしょう。

「会社の給料だけでは生活できないの?」
「そんなにお金が必要な理由はなに?」
「そんなことをしている暇があるなら仕事しろ」

この中で、特に三つ目が、
かなり可能性が高いと、私は見ています。

基本的に、会社で働き、
毎月そこから給料をもらっている人間が、

それ以外の方法でに継続的にお金を得る
というのはあまり想定されていません。

社会人として、特に会社で働いている人間が、
会社外の行為でお金を得るというのは、

場合によっては会社の服務規程に抵触する
そういう可能性さえあります。
(副業禁止の規程など)

その事態が十分想定される以上、
私は自分がコミッション活動をしているということを、
無闇に口外してはならない
そうした考えを持っています。

私は、コミッション活動を、
単なるお金目的でやっている、
という意識は持っていません。

もちろん、コミッションが
「有償取引を原則としている」以上、

お金を得ることも目的の一つであることは、
紛れもない事実ですし、
それを否定するつもりもありません。

ですが、

「クライアントの反応が直接体感できること」
「クライアントの満足感が評価値として具体化できること」

そして、

「クライアントを喜ばせることを自分の喜びにできること」

これによって得られる達成感や充足感は、
普段の仕事ではなかなか得ることができないものです。

特に私のようなIT系の仕事というのは、
クライアント(エンドユーザー)と、
直接顔合わせをするという機会は滅多にありません

大抵は、その間に複数の会社を挟み、
実際に相手をするのは直上の会社の人間、
ということが行われています。

エンドユーザーがどんな相手(会社)で、
このプロジェクトを管理しているのはどんな人間なのか。

私たちの仕事に対して、
エンドユーザーはどのような評価を持っているのか。

そういうことが一切分からないまま、
プロジェクトが完結し、
また別のプロジェクトに異動させられる。

そこに、達成感も充足感も入り込む余地はありません

あるのは、ただ
「仕事をしなければならない」
という義務感だけです。

私は、この義務感しかない毎日に、
いつしか疑問を抱くようになりました。

「このまま私の人生が終わっていいのだろうか」
「恐らく、人生の最期を迎えた時に後悔してしまうだろう」

そういう思いが、
私をコミッション活動に駆り立てる、
一つの動機として作用しています。

自分の人生をもっと充実させるために。
自分の行為で相手から喜びの声を聴くために。

それが、私にとっての、
コミッション活動を続ける大きな意義なのです。
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