創作と「嘘」の物語

記事
コラム
こんにちは。『徒然なる世界』の管理人リュードです。
今回は創作における「嘘」のお話をしたいと思います。

創作をしていると、たびたび「リアリティ」という言葉を耳にします。
日本語に訳すなら「現実、真実」ということになるのでしょうが、たまにこれを楯にして「この作品は現実とかけ離れているから面白くない」という意見をする方が見受けられます。
しかし、本当に創作にリアリティは必要なのでしょうか。そして、創作は絶対に現実とかけ離れていてはいけないのでしょうか。

例えば、タイムトラベルは現在の科学常識では存在しないことになっています。
それは「グランドファーザーパラドックス」など、いろいろな形で説明がされています。
しかし、それでは創作にタイムトラベルを持ち込んではいけないのでしょうか。
もし、そうなってしまうとそもそも「ドラえもん」が成立しなくなってしまいますし、平成最高のゲームに挙げられた「クロノ・トリガー」も作れなくなってしまうでしょう。
(ドラえもんはタイムマシンが存在することを前提とした物語ですし、クロノ・トリガーはタイムパラドックスが一つのテーマとして挙げられています)
ですが、実際にタイムトラベルをテーマにした物語はたくさん作られています。それは何故でしょう。
その理由は実に簡単です。タイムトラベルが、現実に存在しないからです。
例えば歴史小説を書こうとした場合、描こうとしている歴史に関する時代考証は必要不可欠です。その物語が史実に基づかない、あるいは史実を基にしたフィクションであるとしても、ある一時代が背景にある場合はその時代考証に関する研究はやはり外すことはできません。
一方、タイムトラベルにはそういう前提が一切ありません。それは現実に存在しないからです。現実に存在しないものをいくら考証しようとしても、それはいわゆる思考実験の域を出ることはありません。
だからこそ、タイムトラベルは創作の格好のネタになるのです。どういう方法でタイムトラベルを実現するかは、作者の思考実験に任されているのです。
同じことは、異世界転生ものについてもいえます。存在するはずのない異世界(あるいは平行世界)については、そもそも考証をする必要自体がないのです。その世界の秩序や常識、法律や文化などは全て作者の思考実験に委ねられています。
アマチュア作家の多くが(私もそうでしたが)何故ファンタジーものを書くかといえば「余計なことを考える必要がない」からです。SF小説のような科学考証や歴史小説のような時代考証をする必要もありませんし、その物語で描かれる現実に存在しないこと、つまり現実から見た場合の「嘘」は全て「そういう世界だから」で押し通してしまうことができるのです。

物語を書いていると、そこには大なり小なり嘘が存在します。
その嘘を含んだ物語は、現実にはない世界を我々に見せてくれます。
そして、我々はその物語の世界に浸ることで現実から一時的に離れ、嘘の世界に身を委ねることができます。
現実では嘘を付いてはいけないと我々は教えられますが、物語では嘘を付いてよいのです。何故なら、その嘘こそが、我々を幻想の世界に導くための道しるべなのですから。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す