マルチな悩み①

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コラム

夫から父親に変わるとき

妻が待望の第一子を妊娠した。
母性に目覚めた妻は、お腹の赤ちゃんに惜しみない愛情を与えていた。
そんな中、「これを読んで欲しい」と小冊子を手渡される。
その小冊子は、たまごクラブの付録で“父親になる心得”的なものだった。
読んでみると、“父親として育児にどんな風に関わるか”、“産前産後の妻に対するケア”についての記事が掲載されていた。
読み終わった後、「何だか20代前半に、予期せず父親になってしまった人が読むような記事だなぁ」と思った。
共に不妊を乗り越えてきた。
生まれてくる子供に対する、自分の気持ちは伝わっているものだと思っていたから、「こんな幼稚な人間だと思われているのか…」と、残念な気持ちになった。
この時に感じた気持ちは、後の「良い父親として振舞わなければいけない」という呪縛の礎となった。

私はシングルマザーの下に生まれた。
母は0歳の私を預け、仕事をし、子育てをした。
たった一人で私を育てていたのだ。
そんな環境で育った私には、“ワンオペ”やら“イクメン”やらが、社会問題として話題になるのが不思議でならなかった。
「日中一人で子育てをするなんて大変なんだ」
「産後の母親は精神的に不安定なんだ」
「父親が育児に参加するべきだ」
確かにそれはその通りだとは思う一方で
「父親がいるから子育てに専念できるんでしょ?」
「産休とって働かずに済むのは、経済的に父親が働いているからでしょ?」
「形は違えど、父親は子育てに貢献してるんじゃない?」
と、口には出せない疑問を抱えていた。
育児に参加したくないわけではない。
だから、それを口にすることで、そう思われたくなかった。
育児には協力はするけど、母親だけが大変だという論調は、おかしいと思っていた。

待望の子供が夫婦喧嘩の種になるのは嫌だと思っていた。
それを一番悲しむのは子供だと知っていたから。
だから、疑問を感じつつも“良い父親”になることを心がけた。
父親のいなかった私は、想像で作り上げた“理想の父親”を目指すことにした。
“妻のケアをし、子育てに積極的に関与し、人当たりが良く、やさしい父親”
今、思えば、明らかな過剰スペックの父親像を思い描き、それを目指して歩みだした。
身の丈を知らず、背伸びをすれば、何が起きてしまうのかを知らないままに…



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