ありのままに心のままに①

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有料記事について

自分の経験が、誰かの役に立ったら嬉しい。
自分と同じ苦しみを味わう人が一人でも減ってほしい。
そんな想いでブログを書こうと思った。

その結果、もしも役に立てたのなら、少額で良いから、お金を頂くことができないかな…
そんな事を考えながらキーボードの前に座ると、ピタリと指が動かなくなる。
無料で公開しようと思うとスラスラ書けることが、わずかな報酬をもらおうと思った瞬間にできなくなってしまう。
その原因が何なのか?
自分の心と向き合ってみる。

自分に自信が無い

ひとつ目は、自分に自信が無い事だと思う。
私は職場がずっと抱えている問題に対して、改善案を、いくつも、いくつも出してきた。
しかし、それらの案が採用される事は無かった。
「自分の案が至らないなら、どこが至らないのか教えて欲しい」と申し出たが、それに対しても無回答だった。
私が勤める会社の“上司”と呼ばれる人達は、自分が先頭に立って改善に取り組むよりも、以前からある問題に見て見ぬフリをして、大きなトラブルになった時に尻拭いをするのが、自分の仕事だと思っていた。
そんな上司を見習うように、部下は部下で、ずっと解決されない問題に、日々不満を言っては被害者ポジションに鎮座している。
そんな環境に長くいると、実は私の方がおかしいのではないか?と思えてくる。
私は少数派で、世の中の多くの人は、改善するよりも、やり過ごす事を望み、自らが労力を払うぐらいなら、不満を言い続ける事を選択するのではないか?
12年間、そんな生き方に異を唱えて続けても、賛同する人が皆無だった。
そんな自分に、自信などあるはずも無いし、その考えをお金を払ってまで読もうと思える人が現れるとは思えない。

失敗談にお金を払う人はいる?

二つ目は、満足できる結果が出ていないことだと思う。
自分の生き方や選択を後悔してはいないが、結果には満足していない。
自分の生き方を貫いて、結果に満足できていれば、胸を張って「私はこうやって、うまくいきました」と言えるのだろうが、満足していないのだ。
“正直者が馬鹿をみる”
自分が正直者だと思えば思うほど、馬鹿をみてると思えてしまう。
自分を偽って、馬鹿を演じる方が、実は賢いのでは?とも思えてしまう。
自分の中で揺らいでいるのに、人に勧められるはずもない。
成功例にお金を払う人はいても、失敗談にお金を払う人はいるのだろうか?
「いる」と思えないことが、有料記事を書くことの障害になっていると思う。

仲間ではなく味方になりたい

三つ目は、本当にやりたい事では無いからだと思う。
人にアドバイスをすること自体があまり好きではない。
他人から言わた通りにやったことなど、心がこもっていないのだ。
やろうと思ってない人に、ああした方が良い、こうした方が良い、などと言っても、価値が無いということは痛いほど身に染みている。
だから、私が本当にしたいのは、本人が何をしたいのかを見つけるお手伝いをしたいのだ。
そして、その“したい”事を、「やってみよう!」と思える様に寄り添える存在になりたい。
私にはいなかった、一歩を踏み出そうとする勇気を与えてくれる味方になりたいのだ。
ブログは、その、本当にしたい事の“きっかけ作り”。
だから、入場料を取るような行為に思えて、二の足を踏むのだと思う。

今日のまとめ

まだまだ原因はありそうだけど、脳みそを使いすぎると体調が悪くなるので、今日はこの辺にしておこうと思う。
仕事だったら、こうはいかないなぁ…
ありのままに、心のままに。
今はこのくらい。
明日は今日より一歩前に。
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