「愛情&老害」AND「技術屋&職人」について🎀👍💕

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◆とにかく日本人は、人の事をとやかく言いすぎるキライがあります。
服装一つにしても、世間はどういうかと世間(目に見えないもの)ばかり気にして、自分の柄を選ぶのに、自分の金を出して人の柄を選んでいます。
靴下さえ自分の気に入ったものを買えない有様です。
それで、人の気分を害するというのなら話は別べすが、そうでないのなら自由であるべきです。
その点若い人たちの方がうんと進んでいます。
大人というやつは、うんと進歩的に物を考えても、以前はこうだったという
観念が根強く残っています。
子供には過去がないからその時の相場でモノを言います。
そして、それが一番正しい評価であることが多いのです。
だから、過去を持っている人は、うんと進歩的であるように見えて
実は、古いところが多々あります。
皆がみんな民主的ではないですが、若い人の方が本質的に民主的なものを
身につけていることは、ゆるぎない事実です。
若い世代に残す言葉があるとすれば、それは、
「人を馬鹿にせず、人に馬鹿にされず」です。
それから、どんな人間も老いてやがて死んでいきます。
それは、順番であり良いことだと思っています。
さらに、明日死んでもいいように今日という日を充実の日にするという
事でもあると言えます。
こういう考えを持っていると不思議なもので、若いものがいとおしく
思えてくるのです。
人間、死ぬまで生きるのだから、その間に今までできなかった趣味なり、
社会奉仕を思う存分すればいいのです。
ところが、世の中の現実はそうではありません。
いつまでも現役でいたいという人があまりに多すぎます。
そんな人間のほとんどが「老害」を振りまいています。
若い人がみたら、確実に「老害の塊」と思うはずです。
今の世界というのは、年寄りの方が世間知らずです。
昔は、若い人を世間知らずといったものですが、現在は逆です。
あまりにも急激に世の中が進んでいくのでついていけなくなっているからです。特に、「老人経営者」です。
縁もゆかりもない人物であろうと、力のある人物ならその力を見抜いて
次の経営者として正当な評価をする。
それが出来て始めて真の経営者(人格者)なのに、
見抜いて、誉め、伸ばし、チェンジするという必須課程をきちんとこなしていない経営者が少なすぎるという事です。
故に、この人たちのすることは、居座るか、二代目三代目にバトンタッチしてしまうのです。
これを「老害」と言わずしてなんと言いましょうか!
せめて、若い人たちの悪口だけは言わないでほしいと思います。
詰まるところ、どんなきれいごとで飾ろうと、「老害」は「老害」なのです。
社会の状況の変化が激しいのに、いまだ昔の社会問題「パワハラ」が起きています。これぞ、この「老人経営者」による「老害」が原因と思われませんか!
皆さん!つまり、本当の意味での仕事をしてきていないと言えます。
若い人たちへの愛情とは、これから日本を支えていくのは若い人たちです。
若い人たちに、仕事をまかせ、トップは出席しないで自由に討議をしてもらい
トップは、結論だけをみせてもらえばいいのです。
もし、それが納得できないなら、再び元へ戻し討議してもらえれば事は済むはずです。こうすることで若い人たちを育てる事により、正しい後継者の
集団指導体制が完成するのです。


◆職人と技術屋
人間に必要だから貴いんです。
何の役にも立たないものだとしたら、何の価値もないという事ですよね。
こういう事を考えると技術のうえに何かありそうな気がします。
やはり、人間というもの(人間の道理)を本当に理解することが技術の基本原則と考えます。
人間の事を本当に考えない技術は、技術でも何でもないという事です。
だから、どんなにいい技術を持ち合わせていても、人間の為に表現しないのなら技術がないのと同じです。
そんなことなら、大切なお金を使って、学校なんかに行かない方がいいに決まっています。
それでは、職人と技術屋の違いは、どこにあるのでしょうか?
それは、学校を出た出ないじゃなくて、
ひとつのものがあると、過去を大事にしてそればっかりにつかまっている人が
職人です。同じ過去でも、それに新しい理論を積み重ねて、日々前進する人が技術屋です。
だいたい人間というものは、物を知っていたり、地位に就くとそれにこだわりすぎる癖があります。人間の道理です。
こだわる癖がない人が、職人で終わらず伸びる人(成長)なのです。
正規の学校を出ていないとか、家が貧乏とか、いって批判する人がいますが
人生には、関係のないことです。金というものは、動いているもので
使えばなくなります。生まれた時が貧乏だからと言って、それを型にはめてしまう人というのは、おっかないものです。
そういう考えをする人が職人です。
技術に関して、職人と技術屋がいるように、政治でも経済でもみんなに
この二つの型があるという事です。

(試すこと!)
人生はみたり、聞いたり、試したりの三つの知恵でまとまっています。
その中で一番大切なのは、試したりです。
試すことをやっているとかわりに、失敗も多くなります。
失敗と成功は同居しています。
みんな失敗を厭うものだから成功のチャンスも少ないと言えます。
試すことをしていると、意志も強くなります。
やっているだけ知っているという事にもなります。

(気付くこと!)
人間、行動するときは、気付くことが先決条件です。
技術があれば何でも解決できるわけではありません。
技術以前に、”気付く” という事が必要になります。
日本には、技術屋がたくさんいますが、解決できません。
何故なら、気付かないからです。
もし、気付けば、「これを半分の時間でやるにはどうすればいいか!」
という事になるはずです。
そういう課題が出た時に、技術屋が必要なのです。
今は、そういう一番初歩的なところを置き忘れているという事でしょうか!
まず、気付くこと。それがスタートです。

(貧乏はすべきです!)
一つの問題も、考え方によって、たくさんの解釈ができます。
しかし、暗い淵にどんどんはまり込んでいくような解釈をすることには
反対です。どんな失敗をしてもグッと立ち上がるような解釈をすることにしています。それでなければ、次の段階への新しいエネルギーは引き出せません。
私は、私なりに生きていくことへの大きな自信を持っています。
どうしてこういう自信が生まれたかと言えば、やはり、貧乏な家に生まれたからだというほかはありません。
貧乏だと自分以外に頼るものがないのだから、独立心は当然盛んになるわけです。お金があると思うと、自分で考えることをしないものです。人間は!
だから、貧乏でも悲観することはないのです。
貧乏をしてひねくれてしまっては、困りますが、貧乏をプラスにできる人であれば、貧乏はすべきです。
同じことが企業にも当てはまります。
貧乏人の気持ちがわからなければ、人を使う事も出来ないし、人をうならせる
製品も生み出せないと思うのですが!

(見ると観る!)
農村の青年団に質問!
牛の角はどこについていますか?
青年団曰く エ~ット?
農村の青年にしてみれば、牛の角がどこについていようが関係のない事なのです。なぜなら、関心があることは、買うときに安くて売るときに高くて
途中でよく働いてくれればいいという事に関心があるからです。
即答できないのは当然の事なのです。
これが、見学の「見る」で、観察の「観る」をやっていない証拠と言えるはずです。これでは、創意工夫など生まれっこないのです。

(人は信用した方が得です!)
人間は、80%ぐらいは遊びたいという欲望があって、それがあるために
一生懸命に仕事をしているのではないでしょうか!
それを働け働けとやみくもに言っても能率が上がるわけではありません!
人間は、疑り始めたらキリがありません。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていたらとか疑いだしたら
自分で井戸を掘って毎朝水質を調べなければなりません。
人は信用したが得という事です。

(面子にこだわらないことです!)
面子だけで無理押しすれば、合理的にものを考える若い層がついてくるはずがありません。若い年齢層の支持のない経営なんて絶対長続きしません。
世の中は、何といっても若いものが中心になって動いているのですから、
彼らの共鳴を得られないような世迷言で動かそうとしても土台無理な話なのです。

(苦しいと思う事をするのが責任という事です。)
人間というもの、一度やると、それからあまりはみだしてやるのはイヤなものです。とにかく苦しいと思えることは誰も好んでやる気はしませんが
そこをあえてするのが仕事に責任を持つ態度と言えるのではないでしょうか。









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