ヤングケアラーとは? 2

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「ヤングケアラー」の正体!?

 更新が大変遅れまして申し訳ございません。m(_ _)m
 さて、そもそも「ヤングケアラー(未成年の子どもや若者が日常的に家族の世話などを継続すること)」はどうして起こるのでしょうか?

 表面上では「格差社会」などの経済的な理由が挙がりますが、実は心理学面で意外な理由が挙がります。

 それは、「家族の役割逆転」です。これが大きな原因ではないかと思います。

 「???」と思う人もいるはずです。

 今回は加藤諦三先生著の『子供にしがみつく心理』(毎日新聞出版)の内容をもとにお話します。

 ざっくり言うと、「(親自身が)子供時代の悔しさ(虚しさ、寂しさ、悲しさ)を自分の子供で晴らしている」心理状態です。

 例えば、「母親はよく子供とサッカー(観戦)へ連れていく。母親は『子供が喜ぶから』と言って、その時は学校を休ませる。普段子供が『お腹が痛くて学校を休みたい(起きることができなくて学校を休みたい)』と言うときには(母親は)いい顔をしない。子供が学校を休むと母親は落ち込んでいる。ところが家族皆でサッカー(観戦)に行くときは、子どもが学校を休むのは平気。この母親は、子供と自分の欲求が'一致'するときには子供の欲求に敏感になる。親の気持ちに都合がいい時には平気で子供に学校を休ませる」

 「実は母親が子供と一緒にサッカー(観戦)に行きたい。母親はそれを'家族の団らん'と言う。しかし家族の団らんを求めているのは、愛情飢餓感の強い母親であって、子供ではない」

 「つまり、経済的、肉体的、心理的に自立出来ていない子供を使って、母親は『昔の傷』を癒している。子供は'母親のぬいぐるみ'になっている」と。

 おそらく人生の'4分の1'に当たる「0歳~12歳頃(小卒)」の経験が「親ガチャ」、「二世」として反映されるのも「ヤングケアラー」-「親子の役割逆転」は非常に大きいです。

 何度も書きましたが、私の両親は「完璧ではありません」のはおろか、「普通ではありません」。

 「ヤングケアラー」ほど立派ではありませんでしたが、限りなく「親子の役割逆転」に近いぎりぎりの状態がこの頃や思春期以降にも長引いたのかもしれません。

 最近は、加藤諦三先生のような心理学や脳科学に携わる専門家が日本で増え、提言されたおかげでようやく気が付いたことも多々あります。
 そして何よりも、私自身が再び心理学を0から学び直したおかげで気が付いたことも多いのは確かです。

 Youtubeでは不確定かなと思ったことも、それを機に実際の著作をむさぼるように読み、ユーキャンで学び直した賜りものです。

 加藤諦三先生は「(「親子の役割逆転」は)ありのままの自分を受け入れてもらえなったことであり、周りの人からの不当な要求に晒されて生きてきた言うのである。それは小さい頃から'戦場にいた'ようなものである。常に弾(ミサイル)が飛んできた。弾(ミサイル)とは周りの人の態度であり、要求である」と。
 それは「子守り」ではなく「親守り」と加藤諦三先生は警鐘を鳴らしました。

 マズローの欲求の「生理欲求」、「安全欲求」は先生によると「基本的欲求」とまとめられています。そしてその逆が、「基本的不安感」と挙げています。
 それは、人生の'4分の1'に当たる「0歳~12歳頃(小卒)」に特に必要な「母親から愛を求める欲求」と著作で挙がっています。そしてその欠落が、「基本的不安感」-「退行欲求(子ども返り)」、そして「親子の役割逆転」-「ヤングケアラー」、「共依存」という悪循環と輪廻(業)として次世代へ受け継がれてしまいます。

 残念ながら「一家庭」は本当に'閉鎖的環境'である以上、当事者である親子、家族は全く気づくことはありません。

 もし私が心理学を本気で学ばなかったら、おそらくこれらの問題に気が付かづ、ただ精神科のお医者さんに言われるまま、福祉支援の相談員(SW)に言われるままで…より大きなそれこそ「命に関わる」問題へ発展したかもしれません。ぞっとします。

 そして、「『親子の役割逆転』の心理とテロリストの心理に共通点があるということである。(中略)今の世界の混乱の本質的要因は政治的、経済的要因だけではなく、もっと深い人間の心の問題にあるということである」と加藤諦三先生は指摘します。

 冷静に考えると、'人間である以上'現代社会の多くの問題や混乱はほぼ100%「人間関係」が出発点となっており、「脳科学や心理学こそ」が唯一の解決ではないのかと思います。

 残念ながら、今現在も小学校から「心理学」や「人間関係」を基礎からみっちり学んでいるところは皆無でしょう。
 「『親子の役割逆転』をする親は、人生の諸問題から逃げてばかりいるから、もちろん自我の確立はない。親の人生は人に見せるための人生になっている。親は自己実現に努力するのではなく、自分を偉く見せるためにすべてのエネルギーを消費する」と指摘されたように出発点である'人間関係'を排除した結果、「自我(ego:エゴ)」が確立できず病むことへつながりました。

 心理学をみっちりと身につけた人は、おそらくそういうことのない心優しい人ではないかと思います。
 あるいは、私のように一度何らかの問題を抱えたとしても、こうして学び直し、振り返ること(セルフカウンセリング)で向き合う努力は重ねていると思います。

 ところが、未だに「争いの絶えない世の中」である以上は問題の「先送り」が今現在も進行中だからではないでしょうか?

 だからこそ、「心理学」と「人間関係」は'人間である以上'の出発点として小学生から徹底して必修教科として身につけるべきかと思います。
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