懲罰的自己責任とは?

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「全て自分のせい…」の末路は「自己敗北性人格障がい」…

 見出しのように「全て自分のせい…」思う人はいるはずです。少なくとも私自身もそうです。

 この「懲罰的自己責任」はNPOあなたの居場所理事長の大空幸星さんよって発表された単語です。

 昨今のインターネットの普及、長引く不況、発達障がいやHSPスペクトラム(繊細さん)の顕現化や長引くメンヘラ(精神系の問題)などに伴い、日本社会に普及したのがこれです。

 「懲罰的自己責任」は、平たく言うと「全て自分のせい…」、「自業自得」と思い詰めてしまうことです。

 特に、0年代の流行語に「自己責任」という言葉がありますが、そこから始まったのではないかと思います。
 そしてそれが、家庭においても大きな影響を及ぼしました。

 そしてそれによって「望まない孤独」へと発展したり、最悪の場合'自死'につながる恐れがあります。

 特に、私のように「16テスト」の「N(iNtuitive)→(外からの刺激に対して)主観視」の気質特性だとこの「懲罰的自己責任」に陥りやすいそうです。

 繰り返しで申し訳ないですが、「N(iNtuitive)→(外からの刺激に対して)主観視」の気質特性は'課題の分離'が苦手です。そのため、「全て自分事」に無意識に捉えてしまい、「懲罰的自己責任」へ発展してしまいます。

 特に、Y世代(アラサー)やZ世代(アラトニ)、そのさらに下の今現在思春期(ティーン期)はこの気質特性が強いそうです。

 やはり0年代の流行語、「自己責任」の影響が根強いことが伺えます。

 そして、「懲罰的自己責任」によって「人に頼ってはいけない」、「相談は恥ずかしい」、「(病気などの)自分の弱者性は隠すべき」などと思い悩む人たちが増えました。

 これは、「スティグマ(他人などの周りの環境によって押し付けられたマイナスなレッテル、差別など)」と大空幸星さんは呼びかけていますが、残念ながら個人や家族の力にも「限界」はあります。

 私も心理学を学ぶまでは正直、気づきませんでした。
 「N(iNtuitive)→(外からの刺激に対して)主観視」である以上、勉強や他の人の指摘がない限り自覚はないからです。
 「主観視」はそのくらい怖いものです。

 本当に申し訳ございません。そして、指摘をしてくれた方はありがとうございます。

 とはいえ、日本は「リアクティブ型」といい、「(自ら自分自身の弱者性を公共へアピール(申請)しないと)(自分の弱者性が公共で認めてもらえないと)支援が受けられない」という一種の「競争」となってしまっています。

 例えば、「障がい者手帳」1つとってみても、まずは'自分の弱者性をアピールする証拠'として「診断書」などが必要です。そのために、かかりつけの病院などへ何往復かは必要です。
 そして、それらが公共の窓口で認めてもらえないと意味がありませんので、お役所などへ何往復する必要があります。これらは全て'当事者本人で行う必要'があるため、それこそ「自己責任」となってしまいます。

 一方の欧米は、AIを始め情報通信網がかなり発展しているため、「マイナンバーカード」わずか1枚あれば、カードの情報と他の情報(預金口座や病歴など)が全て'紐付け'されていますので、病院側とお役所などが'勝手に'手続きを履行してくれます。
 これを「プロアクティブ型」と言います。

 私たち当事者などの市民はせいぜい「マイナンバーカード」の発行手続きの場合だけお役所などへ向かえばいいのです。
 あとは、全ての手続きはお役所などの情報システムが'勝手に'履行してくれます。

 そのため、欧米の方があまり「自己責任」と問い詰められないのです。
 そこには、無理無茶無駄な「競争」はほぼないでしょう。

 それでも、「人に頼ってはいけない」、「相談は恥ずかしい」、「(病気などの)自分の弱者性は隠すべき」などと思い悩む他の理由は、上記のような「日本が競争社会真っ只中」以外にも「(一度誰かを頼ろうと声かけなどはしたものの)話を聞いてもらえなかった」や「そもそも言葉足らずで、どう声をかけた方がよいかわからない」などあります。

 これらは私自身にも当てはまることで、特にコミュニケーション能力や自己肯定感が生まれつき低い発達障がいやHSPスペクトラム(繊細さん)は「口伝(音声コミュニケーション)」でつまづきやすいです。

 一方で、「口伝(音声コミュニケーション)」の難しさを本やインターネットなどの「文章(文字コミュニケーション)」でカバーしている人も多いため、どうしても内容が'専門過ぎて難しい'側面もあります。

 ただし、両者とも「完全1対1のタイマン」であれば何とかやりとりを続けることはできます。

 とはいえ、日本では「(病院での)診察」や「カウンセリング」など限られた場面でしか「完全1対1のタイマン」の環境は難しいです。

 欧米のような'完全1対1のタイマン'でも十分に機能できる環境を願って止みません。

 また、支える側の「共倒れ(共依存)」を防ぐには、やはり「線引き」は必要になります。しかし、人間が極端に少ない田舎は十分ではありません。
 「田舎コンプレックス(いなコン)」も裏を返せば、「懲罰的自己責任」だからです。

 大空幸星さんは「本気の他人事」と捉え、「相手に対しては『本気』で、真剣に接するが、結果として力に上手くなれなかった。そうであっても、それは相談員(支える側)の責任ではないし、思い詰めなくてもいいと、意識の上で『薄い線』を引くようにしているんです」と。

 16テストの「N(iNtuitive)→(外からの刺激に対して)主観視」である以上、無意識に「全て自分事」として捉えてしまいます。
 大空幸星さんはこの気質特性である私たちに「本気の他人事」という単語で戒めてくださいました。

 「S(Sensor)→(外からの刺激に対して)客観視」の気質特性に比べ、ぎこちないからこそです。

 「懲罰的自己責任」の末路は「自己敗北性人格障がい」という病的な状態です。

 過去にも書きましたが、'自分自身が助からない'と、人を助けるとはできません。アンパンマンも'顔(エネルギー)'を失えば戦えません。

 今の私もそうですが、やはり「引き算発想(いやならさっさと離れる・手放す)」でエネルギーの充足を図るしかないようです。
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