「霊的覚醒ができていない人達は“ツインフレームをツインレイ”と誤認します」

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コラム
私は、私の7人目のツインフレームの彼女のHPを引用していますが、途中図とか表とか実はいろいろあるのです。
本人が作った渾身の何かが。

でも、スクリーンショットで持ってくることはしませんでした。

なんか負けた気がする。と思って。


でも、たぶんこれは大事なんだろうな。と言うものは要所要所であります。

どうやら、いよいよお披露目の機会が来たようです。
まぁ、きっと本人も怒らないのでしょう。


***

内容としては、こちらです。
「この段階で挫折してしまったツインレイ達の多くが、ツインレイについての知識を手に入れた時『ツインフレームへの固執』を生み出します」
https://coconala.com/blogs/2997019/390028

精神意識と、肉体の意識が接続されている状態であれば『自身がツインレイと出会えているのか』をしっかりと認識することができるんですね。

また、偽ツインレイの相手が『ツインレイではない』ことは直感的に理解することができるようになります。(ツインレイの相手は精神が繋がっているので、直感的に理解が出来ます。)

しかし、精神と肉体が繋がっていない、霊的覚醒が出来ていない人たちは『ツインフレームをツインレイ』と誤認します。

その理由は『承認欲求』や『優劣意識』による精神問題を一例としてあげさせていただきます。

承認欲求や優劣意識は『肉体による欲求』なんですね。
「偽ツインレイ=ツインフレーム」です。


もとの文章で見て見ましょう。

20240328.jpg


ま、そのまま引用しましょうか。

『ツインレイ』という用語を知る段階にさしかかるのも、この偽ツインレイステージの段階です。

この段階で『自分はツインレイである』と思うことになるのが『ツインフレームの霊的覚醒失敗』であり、『自分には関係のない話だな』と思うのが『ツインフレームの霊的覚醒完了』ということになっています。
20240328-2.jpg
この段階で、なぜツインレイという用語を知り、ツインレイの霊的覚醒チェックが出来るのか?

いわば、ここが分岐点のひとつとなっています。

精神意識と、肉体の意識が接続されている状態であれば『自身がツインレイと出会えているのか』をしっかりと認識することができる
んですね。

また、偽ツインレイの相手が『ツインレイではない』ことは直感的に理解することができるようになります。(ツインレイの相手は精神が繋がっているので、直感的に理解が出来ます。)

しかし、精神と肉体が繋がっていない、霊的覚醒が出来ていない人たちは『ツインフレームをツインレイ』と誤認します。



これを読んで私は、思わず自分のプロフィールを確認してしまいました。

「ある時ツインレイと言う言葉を目にし軽く調べましたが、は? と言う感じです。次に無視できない状況に追い込まれ、私は進みました。」

……。
ま、そう言うことのようです。


***

さらに続けましょう。

この話も面白いですが。


彼女の別の記事から引用します。

ツインレイと出会う人の人生的な特徴

上記の通り、ツインレイと出会う人の人生的な特徴をピックアップしていっても、いかなるツインレイと出会ったのかによってかなり『特徴』が変わってくるように思います。
親をビジョン化させたツインレイ

 親との確執がある
 親との関係性がおかしい
 親との癒着が激しい
 親に対しての嫌悪感がある
自分をビジョン化させたツインレイ

 劣等感や優越感がある
 自分になにか問題があると思っている
 自分との折り合いがつけられていない
ツインレイ

 潜在意識による問題を浄化していく
 根深いトラウマを抱えている
 運命を受け入れていない
色々あるかなと思います。

このなかでツインレイ自体が抱えている『運命を受け入れていない』という項目。とても面白いなとは思っています。

ツインレイのふたりは運命を信じていません。ツインレイのふたりは「いつかは自分を迎えに来てくれる人がいる」とか思っていません。

ツインレイは『地道な努力をそれぞれしている』んです。ツインレイは魂の離別を迎えたとき、再び出会うために『努力』をするようにしました。少なからず「神が再会させてくれる」という父任せの思想を持っているわけではありません。

会うためには『努力』をして『探す』をしなければならないことを理解しています。

運命が引き合わせてくれるというカタチで、ツインレイはツインレイを探しません。だからこそ、ツインレイの人たちはひたむきに努力をしている人たちが多いのだと思います。

運命がツインレイをひき合わせてくれたとは思っていません。自分でツインレイを探し出すことが出来たと感じているはずです。

少なからず『運命』とは、自らのことであり、外部により発生する棚ぼた的なもののようには感じていないように思います。

ツインレイたちは『偶然より出会った』のではなく『運命により引き寄せた』のでもなく、『偶然』と『運命』そのものが『自ら』なのです。ツインレイは偶数ですからね。


「親をビジョン化させたツインレイ」と「自分をビジョン化させたツインレイ」は、ツインフレーム枠のようです。


まぁ、今日の朝書いた記事にはなりますが、
【ツインレイ(魂の片割れ)】…私たちは、それを乗り越えられる状態にあるから出逢うのです。
https://coconala.com/blogs/2997019/408271

なぜなら、
私の人生だから貴方に会うからです。

私の人生がそこにあって、
だから貴方がそこにいるのです。

私の人生があるからこそ貴方なのです。
その時、一寸の狂いもなく、私だったからなのです。

それを運命と言っているのです。

もう一回、彼女の言葉です。
運命がツインレイをひき合わせてくれたとは思っていません。自分でツインレイを探し出すことが出来たと感じているはずです。


今にして思えば、そうなのです。

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