「ツインレイの世界線の選択ルートマップ」…by私の7人目のツインフレームの彼女

記事
コラム
この記事には、彼女が作った渾身のマップと図があるのですが、さっくりと端折ります。←

ちなみにこの記事は彼女が 2023-05-13 に書いた記事のようです。


ツインレイは選択肢がいくつも生じ、その経緯で私たちは『世界線』の選択をし続けている。

選択肢を選ぶことにより『誰と結ばれるのか』を選ぶことになるのだと思う。
私たちは最終的に『ツインレイ』を目指している。だけど、もしツインレイに至ることがなかったとしても、ツインレイの相手がツインフレームの座席に生まれていたりもする。

けっきょく私たちは一切合切『ツインレイとは必ず結ばれる』という世界線を持っているのではないかっていうことだ。

私たちは『ツインレイにするか』『ツインフレームにするか』のどちらかということになっているが、ツインフレームと離別すればツインレイしかいないし、ツインレイとうまくいかなければツインフレームとなる。

ツインフレームは、ツインレイの擬態者となっている。『自身の異性性』の体現者っていうこと。

最終的に、自分の性別が『両性』にっていく経緯がツインレイの道にある。

しかし、自身の性別が右か左かに偏るとき、私たちはツインフレームを選ぶってことでよいのではないだろうか。
ツインレイの相手と、今生で『ツインレイとして結ばれるのか』『ツインフレームとして結ばれるのか』については相談してきているかと思う。

ツインレイの相手と『ツインレイとして結ばれる』という場合の多くが、当サイトの内容は参考になるかと思う。だけど『ツインフレームとして結ばれる』場合は、エディプスコンプレックスの経緯をなんとか終わらせていくことに意味が生じる為、親との関係性を先ずは着眼していくことの方が十二分に必要になってくるかと思われる。
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不倫のツインレイはツインソウルの立場による関係性

ツインレイの立場がもし『不倫により生じている』のであれば、それはツインソウルにより生じているツインレイとなるだろう。

テーマは同性の親を愛することになる。同性による親を愛せていないとき、ツインレイはツインソウルの立場で生まれることになる。

サイレント期間で生じることになるテーマは『同性の親』が闇としてやってくることになる。

同性の親を愛することにより、不倫関係から解き放たれていくことになる。



いわば、不倫関係の問題は『既婚者であること』なんだが、この既婚者である問題は同性の親を愛することで勝手に至ることになる。

本来のツインレイとツインソウルという経緯を経て結ばれることになる。
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歳の差ツインレイはツインフレームの立場による関係性

歳の差によりツインレイの相手が存在しているときである。このとき、ツインフレームの立場にツインレイが生じていることになる。

個人が抱えている問題として『同性の親が愛せていない』こと、『自分自身を許せていないこと』を抱えているとき、ツインフレームの立場にツインレイが生じることになる。

自己肯定的な人ならば、裏側に『異性の親を奪ってしまった』ことが背景にあり、そこに罪悪感を抱えたままである。

自己否定的な人ならば、裏側に『異性の親が奪えなかった』ことが背景にある。本当は愛されたかったのに愛されなかったという背景があり、それゆえに自己否定的であり、異性の親に対しての怒りが存在している。

テーマは『理想的でない異性の親』を愛することにある。根本には『愛している』という感情があるはずなんだが、この感情を受け入れることが出来ないがゆえに二元性へ割り振られてしまっている。

そして、もうひとつのテーマとして『異性を愛せないでいること』があげられている。そもそも異性間が狂ってしまっているケースがある。

いわば、自分の性別を違えてしまうことになる。これは『異性の親』に対しての認識が変わってくることにより、自分自身に対しての認識もかわってくることになる。

サイレント期間の闇の存在は、自己肯定的なツインレイは『嫌いな同性の親』が生じ、否定的なツインレイは『大好きな異性の親』が生じる。欠落がそこにあり、受容せねばならないものがそこにあるためだ。



親を愛することが出来たとき、ツインフレームという経緯を経てツインレイと結ばれていくことが出来る。
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けっきょく、これって『どういう関係性からツインレイと結ばれていくのか?』という経緯に過ぎない。

いわゆる、その魂の立場がツインレイの相手がどこにいるのか? っていう話だ。

だけど、立場や関係性に囚われてしまうと『だれがツインレイだかさっぱりわからねー!』っていう状態にもなる。
ツインレイの道は『王道』と、それ以外の『邪道』として分類化させてもらったが、けっきょく、どの立場にツインレイが発生しようが、最終的にはツインレイと結ばれていくことにつながっている。
もし、ツインフレームという立場のツインレイと結ばれていくツインレイが『王道よりも下』というと、そうでもない。

三元性の視点からみれば『ツインレイと結ばれている』ということには違いがないからだ。その経緯がどの経緯だったのかによる違いが生じているが、それぞれが役割分担され、その役割のもとに進んできたということ。

そのために必要な役割配備が『このようなことだった』というだけで、邪道だから下だとか、上だとかいう関係性はあんまりないと思われる。とはいえども、このステージの段階で『同レベル』ではない。

なぜならば『わかっている側』と『わかっていない側』という、愛することができている側(愛と犠牲)とできていない側(光と闇)という二分類がうまれてしまっている点『違う』のである。少なからず、理解値は同レベルではない。

ただ、最終的には中心地である愛と犠牲を理解することにより、彼らは同等へとなっていく。

時間的な概念を採用すれば、あとで理解しようが、今で理解しようが同じことって感じだろうか。
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三元性に到達しないツインレイたちは

三元性へ到達することは『ツインレイへの道』が拓かれていることになる。

しかし、三元性ではなく、二元性へとどまってしまうことも多い。それは善悪二元論であり、心の理解が乏しいことにある。

このときの私たちは『心』を重要視した選択ではなく『愛』の選択肢をすることになる。もっとも、愛とは犠牲を生み出すことである。

愛と犠牲のどちらかに偏らなければ、私たちは心を手に入れることも出来ない存在だ。



二元性へとどまってしまうとは、善悪二元論でもあるが、これは『精神』である。正しい心を持っているともいえる。そして正論的であり、自身のなかに『あれをしてはならない』という考え方も生じる。

そのとき、私たちは自身へ『禁止』を行い、他者へも『禁止』を行うことになる。

なぜ私たちは、道徳精神を中心にし、考え方を展開しているのかと言えば、それは『神に縛られているから』である。神に縛られている限り私たちは一人前とは認識されないし、一人前でないならば、私たちは神の道徳に従い、道徳により生じる善悪を中心的に試走せねばならない。

そういった縛りを脱していくことがツインレイの三元性にある。

どの段階に達するツインレイなのかにより、どのベクトルにまで三元的な理解をすることができるのかは別である。

それが『人生的なベクトルの三元性』なのか、『魂的なベクトルの三元性』なのかはわからない。

しかし、私たちは『善と悪』という考え方のどちらをも肯定し、そして否定していく経緯で『すべてを背負う』ことを続けていく。背負った結果、私たちは『三元性』へと向かうことになる。

この経緯を経て、私たちはようやく『ツインレイとツインレイらしい関わり合い』をすることができる。

ツインレイの相手は『ツインフレーム』や『ツインソウル』という立場にあるとき、ツインレイとの関係性は『純粋なる男女』の領域を少しズレてしまっているという事実が生じる。

その事実のズレを調節していった結果、私たちは『ツインレイの相手と純粋な男女』としていつかの私たちへ戻りながらも、心を手に入れた存在として関わることが出来るのではないだろうか。


ちょっとお腹いっぱいですね……。
端折ってしまったのでますますわかりにくい……。


まぁでも面白いですね。

二元性(善悪二元論)にとどまることは「あれをしてはならない」という考え方を生じさせている。

その時自身へ「禁止」を行い、他者へも「禁止」を行う。

しかしそれは道徳精神を持ったものではなく「神に縛られて」おり、神に縛られている限りそれは「一人前」とは言えない。

また、一人前でないなら、
神の道徳に従い、道徳により生じる善悪を中心的に試走せねばならない。


そういった縛りを脱していくことがツインレイの三元性にある。

「ツインレイは光と闇を超越する」と言う話は“光VS闇=どっちか1つ”ではなく、「光と闇は対等であり、2つで1つ」と言う意味なのかな?と改めて考えてみました。
https://coconala.com/blogs/2997019/390376

ま、「己が闇そのものでもある」と言うのは、なかなかに受け入れがたいのかもしれません。

1か0か。と言う話ではないのです。

「0であり、すべて」
そして、
それは「2つで1つ」なのです。


***

ま、ツインレイの話をするなら、こっちの記事で引用した話の方が私にはわかりよいです。
3種類のツインレイの出会いの違い

2種類のツインレイの違いは
 ・親をビジョン化させた異性の象徴
 ・自分の異性像
 ・ツインレイ
というようになっています。
まずは、親をビジョン化させた異性の象徴から説明していきます。
ツインレイ

上記の通り、2種類は『親という概念』『自分という概念』のもとにツインレイが象られることになりますが、最終的には『ツインレイ』へとたどり着いていきます。

ツインレイたちは『自分と同一である』と、相手を自分だと思い込み、出会ったときから『愛している』という感覚を持っています。

こっちは彼女が 2023-12-20 に書いた記事です。

彼女も成長しているようです。←偉そう。


まぁでも助かりますね。

私が、違和感を感じるけど説明できない話は全部彼女が説明してくれているのです。


私は自由人であり続けましょう。


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