言い方に気を付けましょうとは言いますが「ありがとうと言いましょう」と言う素晴らしい説明なら、誰かを非難してもいいと思っていませんか?

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コラム
簡単に言うとです。

とある薬の説明をするとしましょう。

・この薬を飲んだら、こう言う効果があります。
 →やってみたい・みようと思わせる。

と言う説明と、

・あなたはこの薬を飲んでいないから、これができない(できていない)のですだいたい世の中は~
・こういう人っていますよね。こう言うのはこの薬を飲んでいないから~
 →やっていない人を責め立てる。

みたいな違いです。


***


あなたの「ありがとうと言いましょう」はどっちですか?

言い方に気を付けましょうとか、厳しくは言いません。とか言いますけど。

いくらそれが、
優しくて、
善的で、
わかりやすくて、
他人に配慮して、
相手の気持ちを思いやって、
角の立たないような、
人を不愉快にさせないような言い回しだったとしても、

相手を責め立ていることに変わりはありませんよ。


ほんでもって題材が悪いのです。
「ありがとうと言いましょう」は、どちらかと言えば善よりの話題なのです。

だから言っている本人が「己は善的なことをしている」と思ったら、まさか相手を責め立てているなんて考えもしないのです。


でも、よく考えて下さい。

「ありがとうと言いましょう」とあなたが伝えたいのは誰ですか?

“ありがとうと言っていない人”ですよね?


つまり、そもそも、それを言っていない人に何かを強制しているのです。
さらに、そこでやっていない人を人でなし・心がない、と非難していませんか?
それはこれまでそれをしてこなかったことを責めているようなものです。

そうなったら、ありがとうと言う必要性を感じていない人にしてみれば、ただただ余計な仕事が増える訳です。

で、当然のように、
・あなたはこの薬を飲んでいないから、これができない(できていない)のですだいたい世の中は~
・こういう人っていますよね。こう言うのはこの薬を飲んでいないから~

こう言う説明をする人っていますよね。
これは「ありがとう」と言っていない人を非難しているのです。
やっていないことを責め立てているのです。


と、言うことを、
「ありがとうと言いましょう」と言う素晴らしい説明なら、
誰かを非難してもいいと思っていて、
まして他人に対しては「言い方に気を付けましょう」とか言い出すのです。


***

さて。
・この薬を飲んだら、こう言う効果があります。
それをやってみよう。と思わせたら、相手はありがとうを試してみるかもしれません。

でも、誰かを責め立てるような発信者は、そこまで考えていないのかもしれません。


ただただ、己が“善的”な行為をしている。と言う実績作り。

そっちが目的なのかもしれません。


→次回 番外のようなまとめ
【「問題が起こってから対処したい人」は、どうしてそこで喧嘩を売るのかしら?と思うのかもしれません。】

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