詳細プロフィール①父親とおばあちゃん

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コラム
ななみです!
親子関係トラウマ解消と占いやってます!


かつてのわたしは恋愛もダメ、
仕事もダメ、
もちろん人間関係もダメ
結婚もダメで離婚経験あり、です。

なんでそうなったのか。

そうなるために何があったのか。

わたしがどんな体験をしてきたのか
書いていきたいと思います。

ここから立ち直って今のわたしが出来上がりました。

どういうことがあったのか。

どうして自分はアダルトチルドレンだと気がついたのか。

具体的にどう動いたか。

そして、そこからどうやって立ち直ったか。

全部書きたいと思います。



わたしが生まれたのは1964年です。

1回目の東京オリンピックが開かれた年です。

随分ともう、昔の話ですね(笑)

両親は父親が1931年、昭和6年生まれ、
母親は1940年、昭和15年生まれです。

2人とも、戦時中生まれです。

母親は満州にいたとかいないとか。

2人の戦争話はほとんど聞いたことがありません。

これ、戦争の話をしたくないためではなく、
親子間の会話がほとんどなかったためです。


親子関係トラウマ解消のお話しですから、
まずは両親の話を書きたいと思います。


父親は、北陸地方の老舗の料亭の四男でした。
そのためか、父親の父親、つまり、わたしのおじいちゃんは
東北有数のホテルを戦後立ち上げ、
そこのシェフになっています。

父親も美味しいもの大好きでした。
自分で台所に入り、
料理を作ってました。

とんかつや天ぷらは、
外食するより自宅で食べた方が美味しかった(笑)

母方のおじいちゃんも、
我が家で食事をすると、
「子供達の家を回るけど、
食事だけはここの家が1番美味い」
と言ってました。

で。

父方の家のトラウマは、
家系だったようです。

なんでかというと。

父親から家のことは聞いたことがありませんでした。

会話のない家庭だったから。

でも、父親の母、つまり
わたしのおばあちゃんから、
とあることがきっかけで話を聞くことができました。


おばあちゃんはとても気の強い方でした。

どれくらいかというと。

80歳近い時に、とある病気で入院。

もう、歩けないかも、と言われました。

しかし、退院してきた時。

叔母がある夜、物音で目を覚ますと。

おばあちゃんは夜中に1人
廊下で歩く練習をしてたそうです。

人に見せたくなかったらしい。

そんなおばあちゃんも、
ボケが始まってしまいます。

ある日、おばあちゃんの家に、
1人で遊びにいきました。

その頃、一緒に住んでいた叔母は、
おばあちゃんの気の強さについていけなくなり、
家を出ていました。

おばあちゃんは一人暮らしでした。

そんなおばあちゃんの様子も知らず、
遊びに行ったわたし。

ボケが始まったおばあちゃんの話は、
同じことの繰り返しでした。

気が強く、愚痴なんか言ったことのないおばあちゃん。

そのおばあちゃんはこう繰り返しました。

「結婚して辛かった。
辛かった。
嫁はひとり土間で食事を取らされた。
召使だった。
長男が生まれたら、
今度は長男さまさま。
わたしはますます隅に追いやられた」

「え!?」

わたしは衝撃を受けました。

話の内容、というより、
おばあちゃんが弱音を吐いたこと。

それにしても。

封建制度が強かった田舎の老舗料亭。

どれだけ厳しかったのか、想像に難くありません。

この話は、今でもわたしの心に残っています。

そして、我が家のルーツだったのだと、理解しています。


そんなおばあちゃんの四男として生まれた我が家の父親。

7人兄弟姉妹だったそうです。

七男は養子に出されていますが、

このおじちゃんが1番明るくてまともだったかも(笑)

育ちの影響というのは大きいな、と感じる出来事。


では、今度はうちの父親のことを書きたいと思います。

具体的に父親にどんなことをされたか、は
わたしのモラハラ、虐待体験のところに書きたいと思います。

しかし、父親自身のこと。
そんなに書くことがない(笑)

どんだけ父親のことを知らなかったか。

どんだけ親子間の話が少なかったか、
わかると思います。

なので、父親の兄弟関係がどんなだったかわかるエピソード。

おばあちゃんがボケて、
病院だか施設に入れることになった時。

病院か施設かどっちなんだかわからない、
という、これまた希薄な家族関係。

その時、どうやら兄弟間で揉めたらしい。

父親が、兄弟の誰かと電話で話をした後。

こう吐き捨てました。

「長男様だと思っていやがる」

これを聞いた時のわたしの心の中。

「あー、兄弟、仲が悪かったんだ!
知らなかった」

です。

なんだこりゃ。
ですよね。

今ならわかる。

この異常さ。


そして、おばあちゃんが死ぬ前。

やはり電話で兄弟たちと連絡とってた父親。

しかし、わたしが何か尋ねても、
「そんなことは知らなくていい!」
で、何も教えてもらえませんでした。

死んだ後、遺産相続で揉めたらしいですが、
それもどんなことかわかりません。

自分でこれ書いてて切なくなるほどの
関係の希薄さよ。

父親は仕事人間でしたが、
慕われてはいなかったんじゃないかな?

東京の某、大手建設会社で設計をしてました。
が、おじいちゃんのホテル関係の会社に転職。

東北に家族で引っ越しました。

部長をしてた父親。
結構権力があったらしく、
お中元、お歳暮の時は、部屋の一部か埋まるほどの
商品が届きました。

でも、父親は、自分が帰ってくるまで、
その包みを母親には開けさせませんでした。

なぜかというと。

受け取ってはいけない、というものは
送り返してたから。

なんだかなー。

友達もいなかったと思います。

休みの日は、家のソファに寝っ転がり、日がな一日、
本を読んでました。

無言でした。

誰かが家に遊びにくることも、
誰かの家に遊びに行くこともありませんでした。


こんな父親に育てられました。


さてさて、来週は母親の登場です。

土日祝はお休みなので、気が向いた時以外は
ブログも仕事もお休みです。

旦那と異所に過ごしたいと思います。

ではまた来週!


こんなわたしがトラウマから立ち直り、
占い師になり、
占いとトラウマから立ち直るお話で
あなたを元気にします。
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