人生は予測不可能...でもにゃんとかなる!

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コラム
まさか自分がうつ病になるなんて、夢にも思わなかった。
転職をしてたったの二か月だった。
「適応障害」との診断を受けて、休職することになってしまった。
仕事を休んでいると、まるで何もしていない怠け者のようである...
が、頭痛い、足が痛い、手が痛い、お腹痛い...
気持ち悪い、吐き気がする、眠れない...
だるくて身体が動かない・・・
それでもただの疲労で、2、3日で回復するだろうと思っていた。
が、甘かった。
身体が鉛のように重く、布団から起き上がることができないのだ。

仕事を休んでいることへの罪悪感が、脳内を駆け巡り、
動悸が激しく、息苦しさが増してきて、呼吸困難になる。

病院へ向かうバスの中でも立っているのがやっと...胸が苦しい。
医師は、薬が効いてくれば症状は和らいでくる  と言っていたが、
本当だろうか。
苦くて、更に気持ちの悪くなる薬を、がんばって飲んでいる。
薬のせいで、余計に布団から起きられないのではないだろうか。
午前中はだるくて起きられず、
生活リズムがどんどん狂い、怠け者まっしぐら...である。
これはいつになれば治るのか。
仕事はどうすればよいのか。
社会復帰できるのか...。

毎日ぐるぐると、布団の中で考えていた。

焦りが回復を遅らせる...らしいが、
このような状態で、焦らずにいられる人はいるのだろうか。
そもそも、焦らずにゆっくり休める人は、
うつ病にはならないのではないだろうか。

ただ、思うのは、
病気にならなければ、仕事を休むことはできなかった。

病気が、私の身体を守ってくれた...
と、心理士の先生の言葉を理解できるのは、だいぶ後のこと。

自分が「適応障害」と診断されてはじめて、
「適応障害」になった人の気持ちがわかるのかな、と思った。
私はどこか 偏見 のようなものを持っていなかっただろうか。

24時間テレビをみていた時にも感じた。
適応障害...自分も「ショウガイ」ではないか。
自分は今まで、「ショウガイ」を持つ人のことを 
上 からみていなかったか。
力になりたい、助けたいなどと、保育の仕事をしながらも
ただの 偽善者 だったのではなかろうか。

休む のはとても難しい。
先のこと...仕事のことを、
どうしても考えてしまうし、
考えれば考えるほど、身体が動かなくなって、呼吸困難になる。
仕事は休んでいるが、休んでいる気がしない。

自分が 今 できること
今 楽しいと思えること
自分の身体が動くことって...?

30歳も年下の店の従業員と浮気をして家を出ていった、
暴れて家の中を壊すアルコール依存の夫のこと...
同じく依存症であろう問題を起こして、
どうしても病院へつなげたかった諦めきれない長男のこと...

本当に大変だった。

経済的に自立をしたくて、 
タイミングよく住宅手当のある保育園に声をかけてもらい、
引き留めてくれた保育園を辞めて
思い切って転職してみたものの、
一緒にクラスを組んだ若い先生に、自分には納得のいかない事を言われたり、
挨拶もしてくれない、怖い目つきでにらまれたり...
この人とは一緒に保育できないと思った。

経済的に自立を目指して、ゆくゆくは管理者を目指そうと、
希望を持っての転職だったのに

これまではずっと、

どんな人とも上手くやってきて、
どんな事だって乗り越えてきたのに

こんなに小さい事で、こんな風になって、
こんなに小さい自分が、ただただ情けなかった。

ここでの時間は
自分が自分でなくなるようで辛かった。
だんだん息がつまっていった。

これまではずっと、

慕ってもらい、頼りにしてもらっていた。
なにより、いつも子どもたちが飛び込んできてくれて
仕事をしている時は、家庭のことは一切忘れることができた。

もしかしたら
これまではずっと、

この 保育 という仕事を通して
子ども達に救われ、
保護者や同僚から信頼されることによって
「自分」 という存在を確かめていたのでは...?

それがズタズタになってしまった今

もしかしたら、
私は仕事にも
「依存」していたのではないか...?
と思った。

さて
これからの私の人生
どうしようかな。

仕事を適応障害で休んでいるので
次男とゆっくり、家でご飯が食べられるようになった。
次男は中三、不登校なのであるが、
私は次男が学校へ行けていないことが、
以前ほど気にならなくなってきていた。
次男は私の理解者であり、
一緒にこの家庭のなかで生きてきた、
一緒に戦ってきてくれた戦友...だ。

これまで、世間体 を気にしたり
学校に行けない気持ちが全然わからなかったこと、
本当にごめん。
子どもなのに 戦友 などと
子どもらしく居させてあげられなかったこと、
本当にごめん。

家で次男と一緒にゆっくりご飯の時間...
幸せだ。

次男が保育園に入り、私が外でフルタイムで働くようになってから、
12年が経っていた。
12年ぶりの家でゆっくりと流れる時間。

もしかしたら...これは
ギフト なのかも? しれない。

そうだとしたら...
神様 ありがとう。

今 ここにある たくさんの幸せに
いっぱい気付いていけますように。














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