家族の命の危機と私の死生観と。

記事
コラム

訪問頂きありがとうございます。

今日はツイッターの方では書いたりしていたのですが、

昨日夫が仕事中の事故で
一酸化炭素中毒になるということがありました。

幸いにも治療により経過も良好で、
血液検査の数値も改善がみられ、
一泊だけの入院で本日退院することができました。

入院の連絡が入ったのは夕方で、
本人が状態の落ち着いた後に携帯からかけてきてくれて知ったのですが、
正直心臓が止まるかと思うというのはまさにこういうことだな、
と言う感じで、
しばらく頭がフリーズして何もしゃべれなくなり、
事実を受け入れるのに時間がかかりました。


処置にあたってくださった主治医の先生からも
病状説明を電話からでしたが
聞くことができ、
状態が落ち着いていること、
まれに遅発性脳症といって2週間以内や一年後ぐらいに
失行、物忘れ、失禁、慢性頭痛などの症状が出る可能性が
あるとのことでしたが、
一応夫は危険因子も少ないということで、
起こらない可能性が高い、という説明を頂き、
とりあえず心配だけど安心することができました。


一酸化炭素中毒は御存じの方も多いかと思いますが、
重症になれば
命を失ってしまいます。
夫自身も頭痛や息苦しさ、けいれんの様な感じなど
とてもしんどかったことを言っていました。


夫も処置が遅れていたら、危なかった状態でした。

結果としては回復することができて、今は通常通りの状態ですが

今日まで私は、毎日、一日を生き抜くのが必死で
夫の支えがあったからこそ、
生きてこれました。

話を聞いた時は、
夫がいなくなってしまったらどうしよう。
生きていけない。
と正直に思いました。


でも、
話を聞いていた時、取り乱しそうになったとき、
横では子供たち二人が何も知らない状態で遊んでいました。

何とか冷静に、平静を装って、
子供たちに説明をして、家事をして、寝かしつけをして、
子供たちの寝顔を見ながら思いました。

夫もいなくなって、私もいなくなったら、
この子達はどうなる?

正直苦しくて、苦しくて、パニックで、
叫びたかったけど、

子供たちが私を冷静にしてくれて、生きつないでくれました。

ずっとこれからも子供たちに対しては、
情けない母でごめんねって思い続けてしまうとは思います。

でも私は、この子達を守る責任がある。

情けないし、弱いし、だめな母だけど、
でも、この子達は、幸せになる権利がある、と。




そして
夫が入院していた病院は、仕事をしていた時に
利用者さんの関係で何度も足を運んでいた病院で、
子供たちを祖母たちにお願いした後、
一人で向かうのはすごく怖かったです。

仕事に関連する場所、通った道、思い出、
全てが今は苦しいから。
運転しなければならないから頓服も飲めなくて、
正直必死でした。

夫がこんな状況ではなかったら絶対に無理だったと思います。

すごく怖かったけど、
夫への思いだけを支えに、恐怖や不安もあったけど
何とか迎えに行けました。

病院の中を歩くのも苦しかったですし、
知らない人の視線も怖かった。
医療従事者の人を見るのも、怖かった。
けど、行けた。


すごく疲れたし、苦しかったし、怖かったけど、
でも行けたことは、なんだか私の中で一つの前進に感じました。

そして、
夫は今元気で過ごすことができているけれど、

誰だっていつ死ぬかわからない、
寿命は誰にもわからない。
今日かもしれないし、明日かもしれないし、何十年後かもしれない。
そういう当たり前のことを改めて思い知らされました。


前の私だったら、
だからこそ命は大事にしなければならない、
今日は生きたかった人が生きられなかった今日かもしれないから、
と言っていたかもしれません。

でも、私はうつになり、
希死念慮も時にはあるなかで、
生きるのが苦しいと、未来に希望がないと
生きている今思うのは、
それはそれ、これはこれで、
何が正しいとか、間違っているとかではなくて、

生きたくても生きられない人もいる。
生きるのが苦しくて死しか救済がない人もいる。

それは事実としてそこにあるものであって、
間違いとかそういう判断をするべきものではないなと思いました。

死は誰しも必ずやってくるものです。

いつかはわからないし、自分で最期を決める人もいる。
大事なのは、生きれない人の分まで生きなさい!
と言うのではなく、
やはりその人の思いを受け止めることではないかな、と思いました。


正直私は〇にたい、と思っていても
言葉に出すまで、
声に出すまで、
文字で打ったり書いたりするまでも、
時間がかかりました。

それは世の中の自殺は悪いもの、自分を殺すもの、
というイメージがあったから。
だから余計に自分の心の中の「〇にたい」と
向き合うまでにも時間がかかったし、
言葉に吐き出すまで、
誰かに伝えるまでも、
すごく時間がかかり、
それができるようになったころには、もう心が壊れてしまっていました。


一人一人苦しみも違うからこそ、
皆が少しでも楽になる方法というのはとても難しいことだと思います。

ほうっておいてほしいと思う方もおられると思います。

でも、私に何ができるのかと考えたら、

やっぱり
うつの正しい認識を発信し続けること。
言葉の重み、心を思いやる大切さを発信し続けること。
ありのままの自分を見せていくこと、

なのかな、と今はこれぐらいしか思いつきません。

一人一人苦しみは違いますが、
それでもやっぱり、
生きる苦しさ、死しか救いのない苦しさは
経験してほしくないです。
おせっかいだと思います。
でも無理なことだとしても、きれいごとだとしても、

あなたが幸せになってほしい。
幸せって何かわからないけど、
それでも苦しくなく、生きられる、
生きやすい世界になってほしい。

改めて強く思いました。


相変わらず、まとまりのない文章で申し訳ありませんが、
ここまでもし読んでいただけた方がいらっしゃったら
本当にありがとうございます。

どうか、
あなたにとってこれからの日々は少しでも苦しくなく過ごせる世界に
なることを願っています。



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す