【自己紹介③】 高校講師編 2015〜2018年

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今回は自分がどんな人間なのか知っていただくべく、岩手で高校の講師をしていた時代のことをご紹介したいと思います。自己紹介①、②より前のお話になります。

自分が身寄りのない岩手の県立高校で講師になったお話

 私自身は東京都町田市出身です。生まれも育ちも町田で大学も家から通わせていただきました。両親のルーツは東京都や長野県、茨城県にあります。岩手県に親戚がいるわけでもありません。ではなぜ岩手県で講師になったのか・・・お話していきたいと思います。

 高校の教員になる前にワーキングホリデーを利用してデンマークに1年留学していました。2014年の夏に留学資金が貯まる予定だったので8月に出国し、そこから1年は滞在して現地の教育や暮らしを見たり感じたりしたいと思っていました。(詳しくはデンマーク編で書きたいと思います。)

 無事に1年間の留学が終え、8月に帰ってきました。東京都の教員採用試験は8月にあるんですよね。教員になりたいと思っていたものの計画性がなさすぎてその年に受験することが頭にありませんでした。(デンマークで教員採用試験の勉強をする気には少しもなりませんでした。)

 そのような経緯で2016年の東京都教員採用試験を受けることにしました。次の試験まであと1年ある中で、高校の恩師に教育現場に入って合格を目指すか、教育現場以外の場所で働きながら合格を目指すか、相談したところ教育現場で勉強しながら合格を目指すことをお勧めしてくれました。(実はこの恩師が言ってくれた「お前が一番うちの学校で先生に向いてるよ」という言葉がきっかけで教員を本格的に目指し始めた経緯があります。)
 恩師のアドバイスを受けて、教育現場に入ることにしました。しかし年度途中で講師を募集している自治体はホームページを探してもほとんどありませんでした。当時、留学から帰ってきたばかりで勢いに乗っていたのか、それぞれ高校を管轄する教育委員会は県庁にあるということを嗅ぎつけ、20道府県に履歴書を送りました。特に募集はしていなかったので一方的に送り付けた形になります。そんなダメ元で送った履歴書を受け取って返事をくれた自治体があると思いますか?
 不思議な話ですがあったのです。いまだに信じられませんが岩手県、佐賀県、広島県、鹿児島県、京都府などが返事をくださいました。中には「数学の講師でなら採用できます」「週8コマでなら採用できます」などの提示があった中で、岩手県がとてもありがたい条件提示をしてくださり、縁あってお世話になる運びとなりました。

 親戚も知り合いもいない土地で10月から高校の講師になることになった旨を恩師に伝えるととても喜んでくれたことを覚えています。9月末に家財道具一式を借りたハイエースに乗せ、車で岩手へ引っ越ししました。2015年10月1日から自分の教員生活が始まりました。

定時制高校で働きはじめたお話

 教員生活のスタートは定時制高校で迎えました。13時ごろ出勤で夜の21時半ごろまでの勤務形態だったと記憶しています。化学と数学を担当させていただきました。数学の免許はなかったのですが、臨時免許を取得させていただき授業をさせていただきました。昼の生徒が学校に来ていない時間に採用試験に向けた勉強を詰めてやることができたので受験生でもある自分にはありがたい環境でした。
 こうして定時制高校に通う生徒と人生で初めて接する機会を得たわけですが、全日制の生徒と何ら変わりない生徒たちで、皆昼に働いてから夕方から登校するといったライフサイクルでした。大人でも大変なライフサイクルを多少の文句や多少のよろしくない態度と共に乗り切ろうとしている姿に素直に感銘を受けたことを覚えています。大なり小なり問題や課題を抱えた生徒たちもいましたが、皆根は優しい生徒でした。最初はなかなか心を開いてくれなかった生徒もいましたが、毎日話しかけたり、馬鹿話をしながら打ち解けていくことができました。
 生徒数が少なかったので体育の時間は教員も参加する場合が多かったです。中でも盛り上がったのはバレーボールで、みんなで真剣にボールを追いかけて、繋ぐことがこんなに楽しいのだと教えてもらいました。
 毎日の授業の中で少しずつ分かること、できることが増えていく生徒たちとの生活の中で、諦めず努力し続けることの大切さも改めて教えてもらいました。半年しか勤務できなかったのですが、教員生活のスタートがこの高校でよかったと思える生徒や職員の皆さんに巡り会うことができました。
 住人の方々との出会いにも恵まれ、プライベートでも仲の良い友人ができたことは今思うと幸運だったなと思います。岩手県の一ノ関は素敵なお店が多いので飲み歩いてみることをお勧めします。中でも、もぐらさんとBar Tabulaさんはお勧めです。


全日制の県立高校で働いていた時のお話

 【1年目】半年の定時制高校勤務の後、盛岡にある県立高校に異動になりました。前任校よりも生徒数が多く、部活に真剣に打ち込む生徒が多い活発な高校でした。また、県の高校総体でも良い成績を残している部活が多い高校でした。一年生の副担任を拝命し、ベテランの先生とチームを組んで初めての学級経営でした。教科は生物と化学を担当させていただいていました。部活は女子バドミントン部を担当していました。バドミントンの経験はゼロで、なかなか思い切った配置だなーと心の中で思っていました。サッカー部見たかったな・・・なんて心の隅で思いつつも部活のみんなと楽しく活動したことをよく思い出します。みんなとてもいい子でした。

 生物と化学の授業に関しては準備をするのが大変だなと感じたのもこの頃が最初だったと思います。ただ、準備をしっかりできれば生徒の学びは深くなるということも改めて感じることができたので、ヒーヒー言いながら授業の準備をしていた覚えがあります。授業が充実していたので毎日も充実していました。教員をやっている方の間では基本かもしれませんが、授業が根幹なので授業が充実すると仕事も充実することを身をもって学ばせていただきました。

 1年生の化学の授業でmolの計算でつまづいた生徒が分かるまで粘ってできるようになった時の嬉しそうな顔が忘れられません。
 この年の教員採用試験は二次試験で落ちてしまい、もう一年受験することが確定し、テンションが落ちていたことを覚えています。そんな時生徒は大人を見るプロなので変化にすぐ気づいて声をかけてくれるんですよね。何度励まされたことか・・・感謝です。

【2年目】
 1年目と同じベテランの先生とチームを組み副担任を拝命しました。いいタイミングだと思い、車を購入しました。ホンダのシャトルという車です。部活ではバドミントン部の顧問からラグビー部の副顧問に配置転換されました。ラグビーをやった経験はありませんし、タックルを受けてまた立ち上がれる自信もなかったので戸惑っていました。
 そんな中、女子バドミントン部の2年生が顧問を変えてほしくない旨の嘆願を校長に直談判するという出来事が起こりました。何も知らないまま校長室に呼び出された私は、その話を校長に話していただき、「教員冥利につきますね」という労いの言葉をいただきました。とても嬉しかったことを覚えています。素人でも真剣に競技と生徒たちに向き合っていると生徒たちの心は動かせるのだなと学ばせていただいた瞬間でした。その後、校長の計らいでバドミントン部も兼任ということになったのが良い思い出です。
 ラグビー部の生徒たちもいい生徒ばかりで、彼らの勇敢さには尊敬の念を抱いていました。あとは選手たちを支えていたマネージャーたちの活躍が印象的でした。彼らの成長のために何か自分にできることはないかと心から思える素敵な生徒たちでした。
 そんな中、昨年に引き続き生物と化学の授業を担当しつつ、行事をクラスみんなで乗り切ったり、楽しんだりしながらクラスの絆を深めていく過程は今思い出しても青春だなーと感じます。講師の副担任の立場から言えることではないかもしれませんが、いいクラスでした。東京都の試験に合格すると東京に戻ることになるのでこのクラスと離れることになります。複雑でしたが、教諭の授業と講師の授業では生徒が成長できる度合いも違ってくるのではないかと当時一念発起しなんとか合格することができました。

 でも年度末までは公務員の特性上生徒にこのことは言えませんでした。そんな中、2年生と一緒に京都・奈良・大阪・神戸へ行った修学旅行はとても楽しいもので、夢のような時間でした。夜の見回りの時に内緒で生徒たちと色々話したことが本当に良い思い出です。わさびやトランプ、キンカンを差し入れしました。使い方はご想像にお任せ致しますが、現場で爆笑を生み出したことだけお伝えしておきます。
 年度末になって東京都に採用される旨を2年生のクラスの皆に伝えると悲しみつつも喜んでくれました。教員生活を岩手で始めさせていただいてから2年半が経過していました。濃密であっという間の2年半で、生徒の皆さん、職員の皆さんが教えてくれたことがあまりにも多すぎて離任の挨拶をした時には不覚にも泣いてしまいました。2年半で学んだことを活かして次のステップで頑張ろうと決意を新たにし、岩手の地を後にしました。
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